コンテンツへスキップ

相模国 浦賀城 [ URAGA CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナウラガジョウ
別称なし
スタンプ設置場所
曲輪配置連郭式
城郭種類平山城
築城者三浦義同
築城年戦国時代
廃城年1590 年
主な城主三浦氏、北条氏
標高56.1 m
城址碑なし
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構土塁、空堀
現状東叶神社、東林寺、顕正寺
駐車場付近に駐車場なし
最寄り駅京浜急行電鉄本線 浦賀駅


城犬のおいど 攻城記録


戦国時代に小田原北条氏が三浦半島を支配した時に房総里見氏からの攻撃に備えて北条氏康が三崎城の出城として築いたといわれています。
水軍の根城として山頂には空堀など城の遺構が残り、下山田・城山とも呼ばれていました。昔から眺望の素晴らしい所で対岸に房総半島、正面に浦賀八勝の一つ燈明堂がみられます。この明神山は自然の社叢林で県の天然記念物に指定されウバメガシ分布の北限とされています。嘉永6年(1853)ペリーの黒船4隻が浦賀沖に来航した時、眼下の左辺りに停泊しました。
※現地看板より


叶神社


登城口


叶神社の西側の階段を登る

勝海舟断食の碑


万延元年(1860)、日本で初めて太平洋横断を成しとげた成臨丸の艦長格・勝海舟は、航海前に、東叶神社の井戸で水垢離をした後、裏山の山頂で断食をしたと伝えられています。
過酷な冬の太平洋を初めて航海するにあたり、船玉明神を祀る叶神社に、航海の安全を切実な思いで祈願したと思われます。
※現地看板より

横にある石碑は、大正時代に豪雨により崩壊した産霊坂を修復した旨を記載している石碑です。

産霊坂


主郭


本殿(奥の院)


東照宮


住友重機殉職者慰霊塔


浦賀燈明堂


身代り弁天御神徳


勝海舟断食修行の折 使用の井戸


駐車場は道路の両側(神社側と海側)にあります。

城犬のおいどWaのおすすめ散策ルート

浦賀駅を降りたら、まっすぐ城址に向かうのではなく県道208号線を南下して、西叶神社を巡り、西渡船場から浦賀の渡しを利用して、東渡船場に行き東林寺を巡って東叶神社に行くのがよきかな?

2024/6最終訪問


Youtube


城郭周辺地図

神奈川県横須賀市東浦賀


神奈川県の城郭一覧

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP