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武蔵国 関戸城 [ SEKIDO CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナセキドジョウ
別称天守台
スタンプ設置場所
曲輪配置
城郭種類山城
築城者不明
築城年不明
廃城年不明
主な城主佐伯氏
指定史跡なし/不明
標高105.4 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構なし
現状金比羅宮
駐車場付近に駐車場なし
最寄り駅京王電鉄 聖蹟桜ヶ丘駅


概要・現地案内板

桜ヶ丘1丁目の金毘羅宮(琴平社)付近を「天守台」などといい、一帯の山を「城山」ともいう。
多摩川に面し、武蔵野台地を一望できる絶勝の地であることから、鎌倉幕府以来の物見台的城塞として敵を察知したり、急変を狼煙などで知らせる通信拠点であったとも考えられる。
一帯は関戸城跡とされているが、今はわずかにその一部を留めるのみで、山頂は削られ地形も変わっている。

※現地標柱より


城犬のおいど 攻城記録


金毘羅宮(琴平社)


文政年間に関戸の紺屋の井上林蔵が四国より勧請したものとされ、社のある場所は金毘羅山とよばれている。ここにはかつて砦があり、新田義貞軍と北条泰家軍の戦いがあった場所といわと呼ばれる今はないが「物見の松」とよばれる老木があった。
※現地看板より

天守台


元弘3年の新田軍鎌倉攻めの関戸合戦では、一帯が戦場と化し、義貞軍が北条泰家軍を敗走させた後、陣をこの台にすえた跡であることから「天守台」と言われるようになったとも伝えられている。その後は、武蔵野合戦(1252年)、永享の乱(1438年)、明応3年(1494)の戦いなどで多くの軍勢が往来し、長い間要害の地として幾多の戦乱を体験してきた。
※現地標柱より

調布玉川惣画図


江戸時代後半(1845年頃)の天守台

2024/6最終訪問


城郭周辺地図

東京都多摩市桜ケ丘


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