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常陸国 石岡城 [ ISHIOKA CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナイシオカジョウ
別称外城
スタンプ設置場所
曲輪配置
城郭種類平山城
築城者大掾資幹
築城年1214年
廃城年1590年
主な城主大掾氏、石岡氏、札掛氏、田島氏
指定史跡なし/不明
標高24.2 m
城址碑なし
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構土塁、空堀
現状
駐車場
最寄り駅


概要・現地案内板

健保2年(1214)常陸大掾を継承して、常陸国衙において政務をとっていた大掾資幹は、鎌倉幕府から府中の地頭職をあたえられ、この地に居館をかまえた。これが石岡城の起こりといわれる。
その後、大掾氏の拠点として、城郭が整備され、「税所文書」には、南北朝動乱期の大掾高幹の居城として、「府中石岡城」の名前が書かれている。
高幹の子詮国の代には、大掾氏は常陸国衙を拡張して府中城を築き、本拠をそこに移したため、石岡城は「外城」と呼ばれたという。
近世後期に書かれた地誌類には、大掾氏が府中城に移ったあとの「外城」の城主として、石岡某・札掛兵部之助・田島大学などの名前があり、天正18年(1590)の大掾氏滅亡とともに外城も廃城となっている。
現在は、かつての城主であった掛札氏をまつる札掛神社と堀・土塁の一部を残すのみである。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


井戸寄附連名


札掛神社岡田稲荷神社


札掛神社と岡田稲荷社の再興と修復について記されている。

岡田稲荷神社


札掛神社



2024/8最終訪問


城郭周辺地図

茨城県石岡市貝地


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