城郭DATA -CASTLE DATA-
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | トサキジョウ |
| 別称 | なし |
| スタンプ設置場所 | - |
| 曲輪配置 | - |
| 城郭種類 | 平山城 |
| 築城者 | 戸崎大膳亮 |
| 築城年 | 応仁年間 |
| 廃城年 | 1602年 |
| 主な城主 | 戸崎氏、菅谷氏、飯塚氏 |
| 指定史跡 | 市指定 |
| 標高 | 24.2 m |
| 城址碑 | なし |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | なし |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | 土塁、空堀 |
| 現状 | 田畑 |
| 駐車場 | 付近に駐車場なし |
| 最寄り駅 | - |

概要・現地案内板
戸崎城は、出島半島の南西部、周辺の低地との比高差約20メートルの台地上に築かれた中世の城郭です。
各所に堀と土塁が残されており、本丸を含む城跡全体の範囲は東西・南北ともにおよぞ900メートルと広域に及んでいます。そのため、戸崎地区には「館下」、「本丸」、「二の丸」、「中城」、「外城」、「御南屋敷」、「堀留」、「根小屋」等の城跡を示す小字が多く見られます。
また、字山崎にも独立した縄張が存在しているほか、松学寺と八坂神社についても、それぞれ土塁や堀が確認されており、戸崎城の関連施設と考えられます。
戸崎城の城主としては、菅谷氏、戸崎大膳等の名前が登場しており、小田氏の有力家臣であったことが分かっています。
天正元年(1573)には、佐竹氏の攻撃により宍倉城とともに落城します。
その後、文禄4年(1595)には佐竹氏家臣の飯塚兵部少輔が城主となりますが、佐竹氏の秋田移封に伴い、戸崎城の歴史は幕を閉じたのでした。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録

看板

主郭


帯郭

根小屋

空堀


標柱
戸崎城二の丸跡

2024/8最終訪問
城郭周辺地図
茨城県かすみがうら市戸崎
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