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常陸国 芹沢城 [ SERIZAWA CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナセリザワジョウ
別称なし
スタンプ設置場所
曲輪配置
城郭種類平城
築城者芹沢秀幹
築城年天文年間
廃城年不明
主な城主芹沢氏
指定史跡なし/不明
標高25.1 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構土塁、空堀
現状私有地
駐車場付近に駐車場なし
最寄り駅


概要・現地案内板

常陸大掾一族である芹沢氏は、吉田氏系(水戸地方からの別れ)の玉造氏とは違う大掾本家の多気氏の末裔にあたります。
南北朝時代に芹沢氏の祖となる平竜太が相模国高座郡に所領を持ち芹沢の地に館を構えたとき氏を芹沢とし、成人後は幹文と改め、良幹、高幹、望幹四代にわたり鎌倉御所に仕えました。
その後芹沢良忠が常陸へ戻り館を構え、秀幹の代天文年間(1532~54)に芹沢城が築かれたとされます。
また、芹沢家は医薬の術を持つ豪族として戦国武将にも知られていました。
相模国在住の時から医術と関わりを持ちながら、芹沢家四代当主範幹は京都へ赴いたとき医術を学んでおり、今に伝えられる白薬、万病円など疵の治療薬を提供していた。
この医術にまつわる民話が「カッパの恩返し」の伝説となって今に伝えられています。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


説明板


城址碑


芹澤城由来


2024/8最終訪問


城郭周辺地図

茨城県行方市芹沢


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