城郭DATA -CASTLE DATA- 
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | ツルガオカジョウ |
| 別称 | 大宝寺城、大梵寺城 |
| スタンプ設置場所 | ー |
| 曲輪配置 | 輪郭式 |
| 城郭種類 | 平城 |
| 築城者 | 大泉氏 |
| 築城年 | 鎌倉時代 |
| 廃城年 | 1871年 |
| 主な城主 | 武藤氏、上杉氏、最上氏、酒井氏 |
| 指定史跡 | 国指定 |
| 標高 | 18.0 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | あり |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 荘内神社 |
| 駐車場 | 鶴岡公園駐車場 |
| 最寄り駅 | JR 鶴岡駅 |

概要・現地案内板
鶴ヶ岡城は古くは大宝寺城とよばれ鎌倉期以来戦国期まで庄内に君臨した武藤氏の居城であった。
天文年間(1533年頃)兵火のため武藤氏は大山の尾浦城に居を移し当城はその枝城となった。
天正15年(1587年)武藤氏が滅び庄内は越後の上杉氏次いで慶長6年山形の最上義光の支配するところとなる。
元和8年(1622年)最上氏が領地没収となり、その後信州松代より酒井忠勝が入国、庄内14万石(幕末17万石)の居城として整備拡充された。
酒井氏は徳川幕府の譜代大名として明治4年まで約250年間庄内を治める。
戊辰戦争において新政府軍と戦い降伏。
明治8年(1875年)鶴ヶ岡城解体。
本丸、二の丸が公園となり本丸跡に荘内神社が建てられた。
今では公園のお堀と土塁、お城稲荷の森に、僅かに当時の面影が偲ばれるにすぎない。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
城址碑

鶴ヶ岡城復元図

二の丸大手門跡


荘内神社

拝殿




本丸御殿御玄関跡

本丸渡櫓跡


本丸中門跡


大寶館
大正天皇の即位を記念して創建されたもので、大正4年(1915)10月に完成、11月10日即位の日に開館、物産陳列場、図書館等として使用された。「大寶館」の名称は、易経の「天子の位を大寶という」によって名付けられた。

建物はオランダバロック風を思わせる窓とルネッサンス風のドームをのせた様式で、赤い尖塔屋根と白亜の殿堂として大正建築の優美さが内部を含めて完全に原形を留めていることから、昭和56年1月、市の有形文化財に指定された。現在は郷土人物資料展示施設として使用されている。
※現地看板より

中ノ橋跡

金峯石
庄内平野の南端に位置している金峯山(標高471m)は、日本列島の深成岩の花崗岩質の岩石からなり、金峯山から切り出された花崗岩は、「金峯石」と呼ばれる。江戸時代から近年まで石碑、橋脚、墓石、土台石などに使用され、山内には採石場の跡が今も残る。

天和3年(1683年)に城内角櫓の石垣復旧に使われた金峯石は、山から切り出された後、舟で青龍寺川を下って大山街道の橋(現在の新海町)まで運ばれ、そこから動員された数千人の人夫によって大手門外まで運搬された(「酒井家世紀巻之六」)。鶴岡公園内の各所に点在する金峯石には、鶴ヶ岡城の歴史を今に伝える貴重な無言のメッセージがある。
※現地看板より

鶴岡町役場跡



2024/7最終訪問
城郭周辺地図
山形県鶴岡市馬場町
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