城郭DATA -CASTLE DATA- 
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | ジンダイジジョウ |
| 別称 | なし |
| スタンプ設置場所 | ー |
| 曲輪配置 | 連郭式 |
| 城郭種類 | 平城 |
| 築城者 | 狛江氏 |
| 築城年 | 不明 |
| 廃城年 | 1537年 |
| 主な城主 | 難波田氏 |
| 指定史跡 | 未指定 |
| 標高 | 48.8 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | なし |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 神代植物公園 水生植物園 |
| 駐車場 | 付近の有料駐車場 |
| 最寄り駅 | 京王電鉄 調布駅 |

概要・現地案内板
深大寺城跡は、関東平野南部に広がる武蔵野台地の舌状台地の一角に所在します。
関東の覇権を争う小田原北条氏と扇谷上杉氏の攻防のなかで、扇谷上杉氏方が造営した城跡です。
大永4年(1524)北条氏綱によって重要拠点の江戸城を奪取された扇谷上杉朝興の息子朝定が、家臣の難波田弾正に命じて天文6年(1537)、多摩川を挟んで北条氏方の拠点の一つであった小沢城跡に対抗する位置、再興したものとされる。
その後、北条氏綱は深大寺城を攻めずに同年7月に直接扇谷上杉氏方の河越城を攻め、朝定は松山城跡に敗走した。
これにより、一気に風向きは変わり、深大寺城の軍事的価値は喪失し、そのまま廃城となったと考えられている。
そして、16世紀前半、南関東を舞台に繰り広げられた小田原北条氏・扇谷上杉氏攻防のなかで扇谷上杉氏が築造した城跡であり、扇谷上杉氏系の築城技術を残す16世紀前半期までの希少な城館であり、関東における戦国城郭の変遷を知る上で貴重な城址である。
城犬のおいど 攻城記録
水生植物園




第二郭跡


土橋
この土橋は、空堀を渡り第一郭と第二郭を結ぶ通路に使われていた土手を復元したものです。
※現地看板より

空堀



建物跡
この石柱の集まりは、発見された掘立柱建物のうち2棟の柱穴の位置を示しています。建物は武士の屋舎であろうと考えられています。一般に戦国時代の城の建物は丸柱 板葺屋根で、床は中心的な屋形のみにあったといわれています。
※現地石碑より


空堀

腰郭

虎口

第一郭跡
この第一郭は江戸時代の城の「本丸」に当たる郭で、その構造が良く残っており、周りに見える土塁(土を盛った所)と右に見える空堀は、外敵の侵入を防ぐ施設でした。深大寺城は半島状台地の先端に位置しており、当時は南(左方向)が一望できる場所でした。
※現地看板より

櫓台址
奥の高まりが櫓台跡ですが、入れないので写真はここまで。

城址碑と案内看板


虎口


堀跡


腰郭






2025/3最終訪問
城郭周辺地図
東京都調布市深大寺元町
付近の有料駐車場
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