城郭DATA -CASTLE DATA-
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | イシバシジョウ |
| 別称 | 弾正屋敷、石橋館 |
| スタンプ設置場所 | - |
| 曲輪配置 | 単郭式 |
| 城郭種類 | 平山城 |
| 築城者 | 石橋久勝 |
| 築城年 | 応永年間 |
| 廃城年 | 不明 |
| 主な城主 | 石橋奥平氏 |
| 指定史跡 | 未指定 |
| 標高 | 529.5 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | なし |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 慈昌院 |
| 駐車場 | 道の駅つくで手作り村駐車場 |
| 最寄り駅 | JR 新城駅 |

概要・現地案内板
石橋城は、奥平2代貞久の次男、弾正久勝が最初の城主で、近辺の地名「石橋」を称し、三代貞昌の家臣となった。
久勝の子、弾正繁昌は、天文6(1537)年9月、主君への謀反が露見し、4代貞勝の命を受けた土佐定雄に屋敷を攻められて敗北、郎党40人余が討死した。
死骸は一穴に埋められ、奥平弾正宮と呼ばれている。
現在でも西方土塁の腰に石祠を確認することができる。
後年になり、当山の第二世徳岩明和尚が繁昌と一族の死を哀れみ亀山城主貞勝に願い出、弾正屋敷をもらい受けて寺地とし、「石橋山慈昌院」とした。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
道の駅つくで手作り村

慈昌院駐車場

慈昌院

石橋城址標柱




大鐘(梵鐘)

案内看板

土塁



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