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赤坂峠 古戦場

慶応4年(明治元年)、大政奉還をめぐる新政府軍と同盟軍が戦った北越戊辰戦争の下田郷における最大の激戦地跡である。5月、長岡城落城により、両軍の戦線は県内各地に広がった。そのうち村松藩を主力とする同盟軍5百は、長岡・見附から後退し駒込の石動社から観音堂に滞陣した。新政府軍の本陣は、峠の向かい側杉沢におき前線は赤坂にあって対峙した。6月1日朝、鹿峠・長澤の同盟陣地を背景とし、赤坂の敵に総攻撃を敢行した。村松藩は米沢・会津藩と共に松代藩を加えた相手方と激戦。大地を震わす砲声、天に閃く砲火硝煙、白刃交る死闘となった。村松藩はこの戦いで隊長青木剛八が戦死、軍監奥畑伯傅兵衛は10数人を斬り倒したが、狙撃で倒されてまた立ちあがり、その勇猛な戦いぶりは後世に語り継がれた。同藩の戦死者は他に金子喜兵衛(墓石は当地にある)、皆川亀治、内藤伝太郎、渡辺延平、船山石平の7名であった。背景にある松の殖生する峰が、当時の赤坂峠で激戦の場所である。大正14年、峠の峰伝いの道から現在の道に新たに拓かれたものである。
※現地看板より


北越戊辰戦争
交戦勢力新政府軍同盟軍村松藩・米沢藩
発生年月日慶応4年6月1日
場所新潟県三条市駒込1837付近
参戦武将

青木剛八
皆川亀治
内藤伝太郎
戦力

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