城郭DATA -CASTLE DATA- 
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | ソウミジョウ |
| 別称 | なし |
| スタンプ設置場所 | - |
| 曲輪配置 | - |
| 城郭種類 | 平城 |
| 築城者 | 溝口氏 |
| 築城年 | 江戸時代 |
| 廃城年 | 1687年 |
| 主な城主 | 溝口氏 |
| 指定史跡 | 未指定 |
| 標高 | 6.6 m |
| 城址碑 | なし |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | なし |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | なし |
| 現状 | 床固め公園 |
| 駐車場 | 床固め公園駐車場(無料) |
| 最寄り駅 | JR 京ヶ瀬駅 |

概要・現地案内板
沢海藩は、新発田藩初代藩主溝口秀勝の次男善勝により、慶長15年(1610)に秀勝からの遺領・上野国(現群馬県)知行分・新田分を合わせて14000石で成立した藩である。
以後、二代土佐守政勝、三代伊予守政良と継がれたが、政良の世嗣政武は早世した。
そこで、現滋賀県の水口藩加藤家より政親を養子に迎えたが、藩政は乱れて貞享4年(1687)に改易となり、沢海城も廃された。
藩主の墓石の有無から、1670年代に描かれたと推測される城下町絵図によると、沢海城の本丸に天守の姿はない。
おそらく陣屋風の館で、規模も大きくなかったと推察される。
その位置は、昔から”御殿”と呼ばれているこの付近と想定され、城跡は幕末の絵図にも記載されている。
城の築城時期は、横越島絵図に示された政勝の領分や「沢海御在城実録古老語伝記」から、少なくとも寛永16年(1639)以降と推定される。
沢海藩の家臣団は、もともと新発田に居住していたが、二代土佐守政勝の時代の沢海城完成とともに沢海へ移住してきた。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
床固め公園

案内看板




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