城郭DATA -CASTLE DATA- 
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | コマツジョウ |
| 別称 | なし |
| スタンプ設置場所 | - |
| 曲輪配置 | 連郭式 |
| 城郭種類 | 山城 |
| 築城者 | 永井広秀 |
| 築城年 | 室町時代 |
| 廃城年 | 不明 |
| 主な城主 | 永井氏 |
| 指定史跡 | 未指定 |
| 標高 | 219.3 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | なし |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 宝泉寺 |
| 駐車場 | 付近に駐車場なし |
| 最寄り駅 | JR 相原駅 |

概要・現地案内板
宝泉寺の裏山は山城の跡で、城主は永井大膳太夫、片倉城(八王子市)の出城であったと古くから伝えられています。
山城の中心は丘陵の尾根にあって、前面の小松川、背後の穴川が自然の水堀を形成しています。
空堀の規模などから室町時代から戦国時代初期の山城で、現在、墓地造成により南にのびる遺構は大半が消滅しています。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
宝泉寺

城址碑
この城は西暦1300年代長井大膳太夫広秀という武将が片倉城の出城として築いたと伝えられる。これより先当地に宝泉寺開創されていたので俗に宝泉寺城ともいわれていた。時を経て戦国時代に小田原北条氏に属し津久井城より北に2キロ片倉城より西に7キロの地点で両城のつなぎの城として甲斐の武田氏侵攻に備えたと見られ現在櫓台空堀本丸跡などの遺構がある。

困みにこの付近には城に関わりがあるとみられる堀内 評議原 自害谷戸 下馬などの地名が残っている。
※現地城址碑より

松風都井沢線

山道入口(松風都井沢線)


山道入口(宝泉寺内)



主郭




櫓台



案内看板

金刀比羅宮参道



空堀





2025/4最終訪問
城郭周辺地図
付近に駐車場なし
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