城郭DATA -CASTLE DATA- 
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | キタミジンヤ |
| 別称 | 喜多見城、喜多見屋敷、木田見氏屋敷、北見氏屋敷 |
| スタンプ設置場所 | ー |
| 曲輪配置 | - |
| 城郭種類 | 平城 |
| 築城者 | 喜多見氏 |
| 築城年 | 不明 |
| 廃城年 | 不明 |
| 主な城主 | 喜多見氏 |
| 指定史跡 | 不明または未指定 |
| 標高 | 19.2 m |
| 城址碑 | なし |
| 案内板 | なし |
| 現存建造物 | なし |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | なし |
| 現状 | 喜多見氷川神社 |
| 駐車場 | 付近に駐車場なし |
| 最寄り駅 | 小田急 喜多見駅 |

概要・現地案内板
喜多見藩は、武蔵国多摩郡(現・世田谷区喜多見)を治めた藩である。
五代将軍・徳川綱吉の寵愛を受けた喜多見重政は旗本から大名に昇格すると、喜多見藩の立藩と築城を許され、喜多見陣屋(喜多見城)を創建。
その諸費用を綱吉から下賜されていて、江戸幕府の足元である立地にありながら築城が許された事からみても、重政がいかに寵愛されていたかが窺える。
現在の東京23区内で唯一、藩庁と領地が置かれていた。
城犬のおいど 攻城記録
氷川神社
氷川神社の創建は古く、天平12年(740)に素戔嗚尊 を奉祀したことに始まると伝えられています。永禄13年(1570)には、この地の領主江戸刑部頼忠 により再興されました。その子孫喜多見勝忠が神領五石二斗を寄進したほか、社前の二の鳥居は承応3年(1654)に喜多見重恒、重勝兄弟によって建立寄進されるなど、

江戸・喜多見氏とゆかりの深い神社です。また、慶安2年(1649)、徳川家光より十石二斗余りの朱印状を与えられ、以降、将軍家より8通の朱印を受けています。
※現地看板より


龍石


拝殿

氷川神社改築記念之碑

七つ宮



立石大神


歴史の道

2025/6最終訪問
城郭周辺地図
付近に駐車場なし
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