城郭DATA -CASTLE DATA- 
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | ヌマタジョウ |
| 別称 | 倉内城、蔵内城、霞城 |
| スタンプ設置場所 | 沼田市観光案内所 09:00-17]00 |
| 曲輪配置 | 階郭式 |
| 城郭種類 | 平山城 |
| 築城者 | 沼田顕泰 |
| 築城年 | 1529年 |
| 廃城年 | 1682年 |
| 主な城主 | 沼田氏、本庄秀綱、猪俣邦憲、真田氏 |
| 指定史跡 | 市指定 |
| 標高 | 415.1 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | あり |
| 復元建造物 | あり |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 史跡沼田城址 |
| 駐車場 | 沼田市観光案内所駐車場(無料) |
| 最寄り駅 | JR 沼田駅 |

概要・現地案内板
沼田城は、天文元年(1532)に三浦系沼田氏12代万鬼斎顕泰が約3年の歳月を費やして築いた。
当時は蔵内(倉内)城と称し、沼田市街地発祥のかなめで、当市の歴史の起点である。
築城して48年後の天正8年(1580)武田勝頼の武将真田昌幸が入城し、城の規模を広げた。
天正18年(1590)昌幸の長子信幸が沼田領2万7千石の城主となり、慶長年間に五層の天守閣を建造した。
天和元年(1681)に真田氏5代城主伊賀守が徳川幕府に領地を没収され、翌2年1月に沼田城は幕府の命により破却された。
その後、本多氏が旧沼田領177カ村のうち46カ村・飛地領合わせ4万石の藩主として入封し、幕府の交付金で城を再興し三の丸に屋形を建てた。
次いで、黒田氏2代、土岐氏12代の居館となったが、明治になって版籍奉還し屋形も取り壊された。
時を経て本丸・二の丸跡が、現在の沼田公園に変貌した。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
沼田市観光案内所




旧沼田町役場復元鐘楼
真田氏が沼田城主時代は城内に建てられていたが、廃城により取り壊された。明治20年ごろ沼田町役場(藩役所跡 現市役所)東北隅に楼を建て 柳町歓楽院の梵鐘を借りて時の鐘にした。十年後に楼を修復した際その鐘を返し平等寺で保存の城鐘を懸け替えた。

以来鐘楼堂と呼ばれ、戦時下にも供出をまぬがれたその鐘の音は、永く市民に親しまれてきた。昭和39年市役所庁舎建設に際し撤去されたが、市民の熱望により城の本丸跡のここに移して復元新築された。
※現地看板より



利根英霊殿

沼田城天守閣跡推定地

銅像
真田信之像
小松姫像




本丸堀跡



2025/3最終訪問
城郭周辺地図
群馬県沼田市西倉内町
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