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下総国 花輪城 [ HANAWA CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナハナワジョウ
別称なし
スタンプ設置場所
曲輪配置連郭式
城郭種類平山城
築城者平本定虎
築城年戦国時代
廃城年1590年
主な城主平本氏
指定史跡未指定
標高16.1 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構なし
現状花輪城址公園・宅地
駐車場付近に駐車場なし
最寄り駅流鉄道 流山駅


概要・現地案内板

花輪城は、市内では深井城・前ヶ崎城・名都借城とともに存在した、中世城郭の一つです。
十六世紀戦国期に松ヶ崎城を本拠地として、周辺一帯を支配していた高城氏に属する城で、要害といえます。
発掘調査により、台地を東西に区分する深さ三メートルの堀と、その堀を横切って検出された、二つ以上の井戸が連続する掘形遺構(直線連郭式)とが明らかになりました。
花輪城は高城氏が滅亡した後、十六世紀末にはその役割を終えたと考えられます。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


花輪城址公園入口


花輪城跡


戦国時代、小金城主高城氏に属した城の一つ。空堀跡、犬走り跡が確認されたほかに、中・近世の陶磁類、古銭、板碑などが出土。花輪城址公園は、平成元年(1989)設置。
※現地看板より

空堀跡


花輪城跡平面図


琵琶首観音堂跡


琵瑠首首観音堂は、かつて旧道付近に本堂があった、真言宗西福寺境内の観音堂です。解体に伴い行われた調査によって、十七世紀前半の建築様式を持つことがわかりました。この規模や内陣の装飾は、当時の経済力の大きさを推測させるものです。

地元の信仰を集めた西福寺の観音堂には、身丈三メートルの観音菩薩像(天文六年銘 一五三七)や、安産観音としての信仰がありました。
三十九年で、現在は市内桐ケ谷の西栄寺に安置されています。
公園内に保存整備された、花輪城の空堀と観音堂の基壇・礎石が、当地の長い歴史を物語っています。
※現地看板より

琵琶首観音堂参道石段


この石段は観音堂参詣のため、旧西福寺の西斜面を登る参道として、江戸時代の中頃に造られたものです。切石は当時のものですが、崩壊が著しいため新しく組み変えました。観音堂の正面にあたる南側の斜面にも、別の参道の形跡があり、最上部でこの石段とつながっています。

石段は幅約二メートルで、本来は空堀脇の説明板の図のように、切石が二列に三段ずつ九箇所に組まれ、西側には縁に沿って縦一列に並べられていました。観音像が安置されている市内桐ヶ谷の西栄寺には、石段を奉納した際に建てられた石碑があります。この碑文には延享四年(1747年)に、当時、下花輪村の観音講が中心となって、近隣53箇村もの講の協力で石段がつくられたことが記されています。その碑文には市内はもとより、現在の野田市・柏市・松戸市・吉川市・三郷市にあたる村々の名もみられ、琵琶首観音が広く人々の信仰を集めていたことを窺わせます。
※現地看板より


城郭周辺地図

千葉県流山市大字下花輪

付近に駐車場なし


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