コンテンツへスキップ

下総国 松戸城 [ MATSUDO CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナマツドジョウ
別称松渡城
スタンプ設置場所
曲輪配置連郭式
城郭種類平山城
築城者原信濃入道
築城年享徳年間
廃城年1590年
主な城主原氏、里見氏、高城氏
指定史跡未指定
標高27.8 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構あり
現状戸定が丘歴史公園
駐車場戸定が丘歴史公園駐車場
最寄り駅JR 松戸駅


概要・現地案内板

松戸城は、千葉県松戸市松戸にあった戦国時代の日本の城で、別名を松渡城ともいいます。今は「戸定ヶ丘歴史公園」として整備されており、城の遺構はほとんど残っていません。
そして、現在松戸城の跡地は明治時代に水戸藩最後の藩主である徳川昭武の別邸「戸定邸」が建てられ、「戸定ヶ丘歴史公園」となっています。


城犬のおいど 攻城記録


駐車場


茅葺門


戸定歴史館


戸定邸


明治時代の徳川家の住まいがほぼ完全に残る唯一の建物です。約2年の建設期間を経て1884年4月に座敷開きが行われました。増築を経て、現在は9棟が廊下で結ばれ、部屋数は23に及びます。旧大名家の生活空間を伝える歴史的価値が高く評価されています。

江戸時代の大名屋敷の系譜上にありなはら、徳川家が権力の座を離れたため、生活様式は大きく変化し、規模が著しく縮小しています。建物は大きく三つに分けられます。
※現地説明板より

使者の間棟


皇室や華族などの大切な方からの使者や身分の高い来客のお供の人々は正式な玄関の南にある内玄関を入り、この建物に案内されました。ここで用件を伝えたり、主人の用が終わるのを待っていました。来客が使う部屋の柱は木の中心部を使わない高級なものですが、ここでの柱は中心部を使っているため割れやすく、不規則に割れるのを避けるため、外側に面した部分を意図的に割っています。

南側の部屋の下段の押入れの床板は見事なケヤキの一枚板で、押入れに使われるのは異例です。欄間には福を招くとされるコウモリが舞っています。この建物は1946年に、売却・移築されましたが、半世紀後に所有者から松戸市に寄贈され、元通りの姿に復原されました。
※現地説明板より

表座敷棟


戸定邸の中心となる建物です。南側と西側が庭園に包まれ、皇室や華族家の大切なお客様を迎える部屋と徳川昭武が暮らす部屋(御居間)があります。大名屋敷では来訪者と家族の部屋は別々の建物にありましたが、ここでは一つの建物にまとめられています。

四面が柾目の柱や75㎝幅の一枚板を用いた杉戸などの最上等の杉材とそれを活かす高い大工技術は気品ある雰囲気を醸し出し、華美な装飾を排して簡潔にまとめられた空間は庭園との一体感をもたらしています。徳川昭武が求めたくつろぎの空間がここに表現されているのです。
※現地解説版より

奥座敷棟


戸定邸が落成した時には一番北の奥にあった建物です。開口部は南ですが、その東半分は中座敷棟でふさがれ、日当たりは余り良くありません。床の向きは表座敷棟や昭武の部屋と異なり東向きです。大名屋敷の平面配置と比較すると主人のための建物の位置にありますが、室内に長押や欄間が無い点は不審です。大正時代の図面には昭武の後妻・八重の名が見えます。

旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)


台所棟


この部屋は、明治時代からあったものではなく、大正十年以降の増築部分です。昭武の孫夫婦は新婚生活時代に、朝の洗面所として使っていました。床に膝をつき、かがんで洗面を行い、引き出しの中に入っていたタオルで顔を拭いていたそうです。
※現地説明板より

湯殿棟


家族や来客が使った浴室です。職員用の浴室は別の場所にありました。入口左手に脱衣場があり、一段低くなった浴室に小さな浴槽があります。この浴槽は昭和初期頃のもので、昭武の時代のものではありません。昭武が所持していた水戸城御殿の図面中の湯殿には浴槽がなく、桶に湯を汲んで体にかける掛け湯によって入浴していました。

浴槽につかる入浴法が普及するのは比較的最近のことなので、もしかしたら、昭武の時代に浴槽はなかったかもしれません。掛け湯で入浴した場合、しぶきが脱衣にかかることはなく、合理的な造りとなっていることがわかります。

もうひとつの見所は天井です。回し張りという技法で幅83㎝の杉板が張られています。簡素さを旨とする戸定邸の中にあって最も豪華な天井です。
※現地説明板より

離座敷棟


松雲亭


松雲亭は、戸定歴史館の敷地内にある茶室です。昭和53年に松戸市が市制施行35周年を記念して建てられたもので、戸定邸の庭園内に位置しています。

将軍珈琲


慶喜は1867年、将軍就任のお披露目などのために欧米4カ国の公使を大坂城に招いた際、フランス料理のフルコースでもてなし、食後にコーヒーを振る舞ったとされる。

徳川慶喜家4代目当主で写真家の慶朝氏が2002年、茨城県のコーヒー会社と協力して再現している。

旧徳川昭武庭園


東屋(東屋庭園)


書院造庭園の南、東西に細長い区画が東屋庭園です。この土地は昭和20年代に徳川家の手を離れ、同40年代には地上4階建ての福島県学生寮が建設されました。こにより、徳川昭武が作庭した庭園は消滅しました。松戸市は平成25年にこの土地を買い戻し、同28年から2年をかけて復元工事を行いました。松木立ちの中に建つ東屋は、古写真をもとに復元されました。

高さを実感させる崖沿いに建ち、ここから松戸の街並みや江戸川、富士山への絶景を楽しむことができます。東屋庭園には井戸や、陶磁器を焼く登り窯があり、昭武は戸定焼を焼いていました。復元に必要な仕様の細部の決定には多くの専門家や事業家や事業者の協力をいただきました。
※現地説明板より

駐車場


2025/9最終訪問


城郭周辺地図

千葉県松戸市松戸

戸定が丘歴史公園駐車場までのGoogleMAP


[ HOME ] [ 城郭データーベース ] [ 千葉県の城郭一覧 ]

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP