城郭DATA -CASTLE DATA-
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | マザカジョウ |
| 別称 | 間坂城、佐竹城、天神林城 |
| スタンプ設置場所 | ー |
| 曲輪配置 | - |
| 城郭種類 | 平山城 |
| 築城者 | 佐竹昌義 |
| 築城年 | 1131年 |
| 廃城年 | 1602年 |
| 主な城主 | 佐竹氏、稲木氏、天神林氏 |
| 指定史跡 | 市指定 |
| 標高 | 45.7 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | なし |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 馬坂城跡 |
| 駐車場 | 36.520660,140.497826 |
| 最寄り駅 | JR 常陸太田駅 |

概要・現地案内板
平安時代の末期、新羅三郎義光(源義家の弟)の孫昌義は、久慈郡佐竹郷に永住し、佐竹氏を名のり馬坂城を築いた。
馬坂城は、台地の先端部の約6000㎡の敷地を、三つの空堀で分断して曲輪を設けた平山城で、北を鶴が池、西南を山田川に囲まれた自然の要害であった。
佐竹氏は、三代隆義が太田城(舞鶴城)に移り、その後の馬坂城には四代秀義の子義清が稲木氏を名のって居住したり、十四代義俊の子義成が天神林氏を称して居住した時代もあったが、慶長7年(1602)の佐竹氏秋田国替えにともない廃城となった。
また城内には、縄文時代前期の頃と見られる間坂貝塚がある。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録

間坂薬師堂


大手門(模擬)

馬坂城址登城にあたってのお願い
〇馬坂城址の土地は、すべて私有地です。住宅地や野菜畑および散策路以外への立ち入は、御遠慮ください。
〇近隣住民や他の人への迷惑を及ぼす行為は、行わないでください。
〇城址内では、たばこ・花火等の火気は厳禁です。
〇ごみ・糞は、必ず持ち帰るようにしてください。

〇城址内では、安全に十分注意して行動してください。
〇城址内でのいかなる事故・事件については、責任を負いません。
〇駐車場以外への駐車は、ご遠慮ください。
天神林町会
※現地看板より

主郭






内堀と土塁

腰曲輪



水の手




内堀



2025/8最終訪問
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