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相模国 河村城 [ KAWAMURA CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナカワムラジョウ
別称戸張城、猫山城
スタンプ設置場所
曲輪配置連郭式
城郭種類山城
築城者河村秀高
築城年平安時代
廃城年1590年
主な城主河村氏、上杉氏、足利氏、大森氏、北条氏
指定史跡県指定
標高221.1 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物あり
復元建造物あり
遺構あり
現状史跡河村城跡
駐車場無料駐車場
最寄り駅JR 山北駅


概要・現地案内板

南北朝時代の記録にも残る河村城は、戦国時代には小田原北条氏の出城でした。
地理的に、北の甲斐国、西の駿河国から足柄平野へ至る北東端の入口部分に当たり、戦略上、重要な城であったと考えられます。
現在の御殿場線辺りを江戸時代中ごろまで流れていた皆瀬川と、南の酒匂川とに挟まれた標高約225mの独立丘陵上に、自然地形を活かし、郭や堀切を配した、山城です。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


河村城址入口


駐車場


河村城址歴史公園案内図


茶臼郭


本城郭から北へ伸びる尾根は二本の堀切によって小郭、茶臼郭に区切られている。北側に位置する茶臼郭は、本城郭より約十メートル低く東西約二十メートル、南北約八十メートルを計る緩やかな斜面で、東西両側に帯郭が見られる。

絵図によっては、小郭を茶臼郭としているものもあるが、新編相模国風土記稿の河村城古図では、小郭の北側に茶臼郭を配している。
※現地石碑より

お姫井戸


小郭と茶臼郭の間の堀切では、畝堀が確認されており、東端の畝間には出水がある。新編相模国風土記稿の絵図にはこの位置に井戸の記載があり、往時は井戸として使用していたと考えられるが、発掘調査では井戸の遺構は確認できなかった。

しかし、河村城落城の時に城主の姫が井戸に身を投じたという裏話が今でも伝えられている。

※現地石碑より

畝堀


(敵の侵入を困難にしようと堀底を畝で区切ったもの)
※現地看板より

本城郭


河村城址図


城址碑


馬出郭


堀切


本城郭と蔵郭の間にある幅20m、深さ8m、堀底の幅50mの傾斜の急な堀切です。発掘調査では堀底を含め5回の造り直しを確認しました。橋脚の跡は、堀切内の平らな造成面で発見され、それよりも古い傾斜のある時期の橋脚跡は不明です。
※現地看板より

河村城跡案内図


河村城は中世山城の全容を残しています。城は自然地形を利用し、尾根の高い部分を削り、その土で低い部分を埋めて「郭」と呼ぶ平場を造成します。また、谷や崖面を利用して堀とし、外敵の侵攻をさえぎるため、尾根を人工的に切断して堀とした「堀切」を造り、郭の間を隔てる防御態勢を整えました。

河村城の郭や堀切の平面配置を示す「縄張り」は 約300年前の絵図を参考にしています。

※現地看板より


蔵郭


東西約70m、南北約30mの長楕円形の郭で西に本城郭、東に近藤郭があります。北側は丸い尾根に3段の平場が続く郭です。南側は急な谷間で、郭の東西に自然地形を利用した堀切を築いています。近藤郭との間の堀切は東西24m、南北60m、深さ12mの河村城最大の堀切です。
※現地看板より

堀切(障子堀)


近藤郭


堀切


河村城最大の堀切です。その規模は、幅約25m、深さ約12m、斜度50度を測ります。蔵郭と近藤郭を仕切る自然地形の谷を利用して、敵の侵入を防ぐために造られました。堀底には移動を制限するため高さ2mほどの衝立(堀障子)が設けられています。こうした構造の堀は障子堀と呼ばれ、小田原北条氏が得意とした造り方です。

本城郭と茶臼郭の間や近藤郭の空堀も同様の構造です。写真の堀の中に白く筋状に見えるのは、廃城後に畑地に転用された際の畝に宝永火山灰が堆積した状況です。
※現地看板より

大庭郭


南北朝時代の記録にも残る河村城は、戦国時代には小田原北条氏の出城でした。地理的に、北の甲斐国、西の駿河国から足柄平野へ至る北東端の入口部分に当たり、戦略上、重要な城であったと考えられます。

現在の御殿場線辺りを江戸時代中ごろまで流れていた皆瀬川と、南の酒匂川とに挟まれた標高約225mの独立丘陵上に、自然地形を活かし、郭や堀切を配した、山城です。
※現地看板より

大庭郭張出


河村城跡案内図


河村城は、当時この地域を支配していた河村氏が山頂に砦のような施設を築いたことが始まりといわれており、南北朝時代の文献に「河村城」の記載があります。浅間山に連なる丘陵の山頂に小田原北条氏の出城として築城されました。河村城址歴史公園では、その時代の復元的整備を行っています。

河村城は「山城」という種類の城で、現在の小田原城にあるような天守や石垣、水堀からなる平地に造られた城とは異なります。
山城とは、山岳部の地形の特性を活かした平坦な郭や急斜な堀などにより、敵に攻められにくいように造られた城のことです。普段人々は、山の麓の平坦地で生活し、戦時には山城に集結して戦闘に備えていました。
※現地看板より

馬違戸


駐車場になっているので、こちら側から登城する方が体力的には楽です。

2025/8最終訪問


城郭周辺地図

神奈川県山北町山北

河村城駐車場(無料)までのGoogleMAP


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