城郭DATA -CASTLE DATA-
項目 | 内容 |
---|---|
ヨミカナ | イワムラジョウ |
別称 | 霧ヶ城 |
スタンプ設置場所 | 岩村歴史資料館 09:00-17:00 |
曲輪配置 | 梯郭式 |
城郭種類 | 山城 |
築城者 | 遠山景朝 |
築城年 | 鎌倉時代 |
廃城年 | 1871 |
主な城主 | 遠山氏、森氏、松平氏、丹羽氏 |
指定史跡 | 県指定 |
標高 | 715.3 m |
城址碑 | あり |
案内板 | あり |
現存建造物 | 不明門(移築)、赤時門(移築)、弁財天社(移築)、土岐門(移築) |
復元建造物 | 藩主邸 |
遺構 | 石垣、空堀 |
現状 | 史跡岩村城址 |
駐車場 | 岩村城内駐車場 |
最寄り駅 | 明知鉄道 岩村駅 |

概要・現地案内板
城犬のおいど 攻城記録
岩村歴史資料館
岩村藩主邸跡です。

太鼓櫓と表門
江戸の平和な時代になると、城主が城の山頂(本丸)に住む必要がなくなり、慶長6年(1601年)城主「松平和泉守家乗」は、城の山麓に藩主邸を造営した。以後ここは政治の中心としての機能を果たす一方、”太鼓櫓”を設け城下に時を知らせ続けたものである。
※現地看板参照

岩村藩主邸灯篭

平重門

岩村城総合案内板

岩村城登城口

下田歌子勉学所

藤坂
岩村城大手の登城道のうち、藩主邸から一の門まで続く急な坂道は「藤坂」と呼ばれている。加藤景廉の妻重の井が輿入れの際に、生まれ育った紀州藤城村から持参した種から育てたと伝える、フジの大木があったことがその由来という。
※現地看板より

初門跡
直線的に伸びる登城坂で、この部分だけが、行く手を遮るように鉤の手に大きく曲げられている。有事の際はここに臨時の門を構えて通行を遮断するようになっていたため「初門」と呼んだという。岩村城の最初の関門である。
※現地看板より

一の門跡
二層の櫓門で、大手一の門とも呼ばれる。城に向かって左側には単層の多門櫓が構えられ、右側の石垣上も土塀で厳重に固められていた。前面左側には石塁が張り出しており、死角から敵が近づかないように工夫されている。内側には番所が置かれていた。
※現地看板より

土岐門跡
岩村城第二の門で、内側は馬出状の曲輪となっている。絵図では薬医門または四脚門として描かれている。土岐氏を破ってその城門を奪い移築したという伝承からこの名がついた。廃城後に徳祥寺(岩村町飯羽間)山門として移築され現存している。
※現地看板より

畳橋跡
大手の入口は、高石垣と枡形門、三重櫓によって厳重に固められており、前面の空堀にL字形に架かる木橋を渡って内部に入るようになっていた。床板を畳のようにめくることができたことから、畳橋と呼ばれたという。
※現地看板より

追手門・三重櫓
追手門は、畳橋から棟門をくぐり直角に右に曲がって櫓門に入る枡形門である。脇には、畳橋を見下ろすように三重櫓が構えられていた。三重櫓は岩村城唯一の三層の櫓で天守に相当し、城下町の馬場と本通りはこの櫓を正面に見るように設定されている。
※現地看板より

霧ヶ井
岩村城の別名「霧ヶ城」の由来となった井戸。敵が攻めてきたとき、城内秘蔵の蛇骨をこの井戸に投じると、たちまち霧がわいて城を守ったという。蛇骨は二の丸の宝蔵に収蔵されており、虫干しをした記録が残されている。
※現地看板より

この水は今も絶えることなく湧き出し、昭和62年に岐阜県の名水50選に認定されている。

八幡曲輪跡
中世の城主遠山氏の氏神で始祖加藤景廉を祀る。明治5年(1872)に山麓の現在地へ移転した。入り口に鳥居が建ち、中段には別当寺である薬師寺、最奥部に拝殿と本殿、八幡櫓があった。棟札から永正5年(1508)には神社があったことが分かっている。
※現地看板より

菱櫓跡
山の地形にあわせて石垣を積んだので菱形になった山城特有のものである。この上にあった建物も菱形であったので菱櫓と呼ばれた。

石垣六段壁
本丸の北東面に雛壇状に築かれた六段の見事な石垣である。元は絵図のように最上部のみの高石垣であったが、崩落を防ぐために前面に補強の石垣を積むことを繰り返した結果、現在の姿となった。
※現地看板より

本丸裏門跡

長局埋門
両側の石垣の上に多門櫓を載せ、石垣の間に門を設けた櫓門。門の内側の細長い曲輪は長局と呼ばれている。入って左手の本丸に入る内桝形状の通路は東口門で、本丸の正門である。前面の一段低い曲輪は東曲輪で、本丸の外枡形的機能を持っている。
※現地看板より

本丸跡
本丸には納戸櫓など二重櫓2棟、多門櫓2棟が石垣上に構えられていた。東と北には一段低い位置に長局と呼ばれる細長い曲輪が附属する。正門は東曲輪側の東口門である。内部には施設はなく、広場となっていた。
※現地看板より

昇龍の井戸


岩村城歴代将士慰霊碑

納戸櫓跡・埋門
両側と奥の石垣の上にすっぽりとかぶさるように櫓が載せられ、石垣の間のクランクした通路には三つの扉が設けられている。門の右側には納戸櫓(二重櫓)が構えられていた。また左側の石垣は江戸初期の築城当初のものであると考えられる。
※現地看板より

出丸跡
本丸の南西の防御を担う重要な曲輪で、2棟の二重櫓、3棟の多門櫓で厳重に固められていた。二重櫓の一つは時を告げる太鼓が置かれた太鼓櫓である。また、多門櫓の一つは大工小屋として使われるなど、平時には城の維持管理を担う曲輪でもあった。
※現地看板より


岩村城休憩所



2016/5最終訪問
城郭周辺地図
岐阜県恵那市岩村町
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