城郭DATA -CASTLE DATA-
項目 | 内容 |
---|---|
ヨミカナ | ナガシノジョウ |
別称 | 末広城、扇城 |
スタンプ設置場所 | 新城市長篠城址史跡保存館 09:00-17:00(火曜定休) 休館日は、自販機横 |
曲輪配置 | 梯郭式 |
城郭種類 | 平城 |
築城者 | 菅沼元成 |
築城年 | 1508年 |
廃城年 | 1576年 |
主な城主 | 菅沼氏、奥平氏 |
指定史跡 | 国指定 |
標高 | 60.9 m |
城址碑 | あり |
案内板 | あり |
現存建造物 | 禅正門(桃牛寺山門) |
復元建造物 | なし |
遺構 | 石垣、土塁、空堀 |
現状 | 史跡長篠城城跡 |
駐車場 | 長篠城城跡 駐車場 |
最寄り駅 | JR飯田線 長篠城駅 |

概要・現地案内板
長篠城は三河国(愛知県東部)と遠江(静岡県西部)との国境に近い場所に所在していました。
東三河地域の平野部と山間部との境目であり、交通の要所でもあったこの地は、永禄3年(1560)の今川義元の死後、今川氏・武田氏・徳川氏が争奪戦を繰り広げた、まさに勢力の境目でもありました。
長篠城はこの地域を支配するうえで大切な場所であったことから、天正3年(1575)5月に長篠城を巡って「長篠・設楽原の戦い」が起こっています。
ここでは、15世紀末から16世紀初頭に城主の住まいとして築かれた城が、16世紀後半以降に丸馬出や現存する「横矢掛け」の大土塁を有する、土塁と堀を巧みに駆使した軍事的な城に改修されたことが発掘調査で判明しています。
また、豊川と宇連川、崖地など自然地形をうまく利用した「後堅固」な景観は、防備に優れた長篠城を代表する見どころにもなっています。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
牛渕橋
長篠城址ビュースポット

牛渕橋
長篠城址ビュースポットより撮影

帯郭
駐車場になっています。

周辺散策マップ

さかさ桑
長篠の戦の落武者が、寒狭川の中流にある小松集落にさしかかって、民家の庭に杖をつきさした。土地の者はその剛力を見てただものではないとおもいその杖に手をふれなかった。落武者は武田勝頼であった。杖からは桑の芽が出たが下方に向かってだけ伸びるので「さかさ桑」と名ずけられた。近年それが枯れたので、土地の人がおしみ新しいのをこの土地に植えた。
※現地看板より

長篠城址・史跡保存館

日本100名城スタンプ

布陣図

帯郭

土塁と堀
この正面に見えるのは、本丸の土居と堀で天正三年の姿を残している。右手に門と土橋があり、続いて土居と堀が伸びていたが江戸時代に崩されて今はない。堀の土はかき上げられて土居にした。堀には水を引き入れた。土居と堀は直線に進まず直線に近い出入りがある。この形はやがて近世の城郭へ移り変る姿を見せている。
※現地看板より

土橋

本丸跡

長篠城の南面は宇連川、西は豊川、ともに50mの断崖である。なお本丸の西北は矢沢の険しい谷である。平地への面を水堀と土居、そして外郭は柵又は塀で囲んだ。平地へ移ってきてもできるだけ天険を利用した戦国末期の典型的な築城である。
※現地看板より

鳥居強右衛門磔の場所
ここから、対岸に鳥居強右衛門磔の場所が見えます。
正確には鳥居強右衛門磔跡石碑が見えます。実際の場所は線路辺りになります。

鳥居強右衛門磔跡石碑
対岸の鳥居強右衛門磔跡石碑がある場所にやってきました。木が生い茂っていてこちら側から長篠城本丸は見えずらいです。

鳥居強右衛門
天正三年(1575年)5月1日、甲斐の武田勝頼は1万5千人の軍勢を率いて、長篠城を取り囲んだ。奥平貞昌を城主に、わずか5百人の兵が長篠城に籠城した。城の兵は、武田軍の猛攻をよく防いだが、落城寸前となってしまった。この時、城主の命をうけた鳥居強右衛門と鈴木金七は川伝いに城を抜け出し、家康のいる岡崎城へ援軍の要請に向かった。家康と信長に会い、城内の様子を伝えた強右衛門は、「援軍来たる」の返事を持って一足先に城へと向かった。

かんぼう山で合図の「ノロシ」をあげた強右衛門は、城内へ戻る途中、有海の篠場野で武田軍にとらえられた。強右衛門は、武田方から「援軍は来ないと言えば助ける」と言われ、城中が見渡せる場所へ連れてこられた。城兵を前にして強右衛門は、「援軍は来る」と大声で叫んだ。勝頼は、「勇気の士」としてその行動をたたえたが、武田の将兵によって、この地で磔となった。この強右衛門の行動が、きっかけとなり戦いの舞台は、長篠から設楽原へと移っていった。
※現地看板より

野牛郭跡

物見櫓跡




城藪稲荷社跡
様々な願い事をかなえてくださると厚い信仰のありましたおとら狐を祀るお稲荷様は城址が文化財として保存されるため大通寺境内に移転しました。きれいなお社に安置されたお稲荷様をみなさまお参りください。
※現地看板より


本丸土塁上


御手植えの松
この黒松は、久爾宮良子女王殿下が大正七年(1918)3月17日、設楽原決戦場視察の後、長篠城址を視察し、御台臨記念として植えた松である。

長篠城址碑



弾正郭

馬場美濃守信房の墓
天正3年(1575年)長篠の戦いに敗れて退却する、武田勝頼の最後尾(殿=しんがり)を守りぬいて戦死した、馬場美濃守信房の首を埋めた所と言われている。
※現地看板より

2024/11最終訪問
城郭周辺地図
愛知県新城市長篠
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