城郭DATA -CASTLE DATA-
項目 | 内容 |
---|---|
ヨミカナ | オカザキジョウ |
別称 | 竜城、竜ヶ城、岡竒城 |
スタンプ設置場所 | 岡崎城天守 09:00-17:00 |
曲輪配置 | 梯郭式 |
城郭種類 | 平山城 |
築城者 | 西郷稠頼 |
築城年 | 1455年 |
廃城年 | 1873年 |
主な城主 | 西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏 |
指定史跡 | 市指定 |
標高 | 28.7 m |
城址碑 | あり |
案内板 | あり |
現存建造物 | 太鼓楼(慈光寺)、北曲輪門(額田郡額田町民家) 岡崎城念佛堂赤門(謁播神社山門)、北門二の門(宿縁寺山門) |
復元建造物 | 復興天守、東隅櫓、土塀 |
遺構 | 石垣、水堀、空堀、井戸 |
現状 | 岡崎公園 |
駐車場 | 岡崎公園 駐車場 |
最寄り駅 | 名鉄 東岡崎駅 |

概要・現地案内板
15世紀中頃(室町時代)、西郷禅正左衛門頼嗣(稠頼)が現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父である松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。
1542年(天文11年)12月26日、徳川家康はここ岡崎城内で誕生した。
江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、本多氏(康重系統/前本多)、
水野氏、松平氏(松井)、本多氏(忠勝系統/後本多)と、歴代譜代大名が城主となった。
石高は5万石と少なかったが、大名は岡崎城主となることを誇りとしたと伝えられる。
現在の天守閣は1959年(昭和34年)に復興され、3層5階の鉄筋コンクリート構造と
なっている。
2階から4階は江戸時代の岡崎を紹介する展示室で、5階は展望室となっており
三河平野を一望することができる。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
竹千代橋

本丸埋門
本丸に四箇所ある虎口(出入口)の一つ「本丸埋門」は、門の外側にも枡形があり、二重の枡形に守られた厳重な構造でした。現在のスロープ部分は階段であったと考えられます。埋門は石垣の間に埋もれるように門が構築され、石垣には門の横木が架け渡されていたことを示す痕跡が残るほか、「卍」や「井」の刻印もみられます。
※現地説明板より

本丸
岡崎城の中心部で、松平清康(家康の祖父)が城主の時に八幡社が建てられていたことから「八幡曲輪」とも呼ばれます。城から北東方向の甲山から延びる丘陵の先端に位置し、西は矢作川、南は菅生川(現在の乙川)に囲まれた天然の要害となっています。江戸時代には天守のほか、月見櫓や辰巳櫓など多くの建物が建っていました。
※現地説明板より


岡崎城の城郭模型(内郭)



龍城神社

龍の井
康正元年(西暦1455年)
岡崎城竣成の日 龍神の出現
により 別名を龍ヶ城とした
天文11年(西暦1542年)
家康公 城内にご誕生の刻
金の龍が昇天したと伝える
吉兆の度に この井水が噴
出し 龍神に注ぐ不可思議に
これを祈り 出世開運の井
と称えられている
※現地説明板より

岡崎城本丸茶屋
営業時間
10:00~16:00
定休日
月曜日・火曜日


清海堀
本丸北側に位置し、本丸と持仏堂曲輪を隔てる堀です。岡崎城の最初の築城者である西郷頼嗣の法名「清海入道」に因み名付けられました。城内でも古い時代に構築されたと考えられる曲線的な堀です。本丸側は急斜面の土塁のままですが、対面側は後の改修により石垣が築かれたもので、築城の変遷がみられます。
※現地説明板より

持仏堂曲輪
本丸北側に位置し、名称は徳川家康が所持した阿弥陀仏を安置した堂があったことに由来します。城内で最も強固な防御を誇る曲輪で、二の丸から侵入した敵は、180度方向転換をして狭い帯曲輪を通らなければ本丸大手虎口(出入口)に行けず、側面からの横矢を受けることになります。
※現地説明板より

天下人家康公 出世ベンチ

廊下橋
持仏堂曲輪と天守台を繋ぐ橋で、大正9年(1920)に現在のアーチ型石橋に改修されていますが、江戸時代は屋根付きの廊下橋が架けられていました。曲輪から天守へ直結する橋は珍しいものです。廊下橋を渡った正面の天守台石垣には鏡石(幅2.1m、高さ1.8m)が配置されています。
※現地説明板より



徳川家康公銅像

二の丸

からくり時計
この時計塔は、徳川家康公のふるさと岡崎にふさわしい和風のからくり時計で、定刻になりますと家康公のからくり人形が現れて、照明と音響の演出で能を舞います。
※現地説明板より

三河武士のやかた 家康館
NHK大河ドラマ「どうする家康」の家康(松本潤)の甲冑が飾られています。

企画展示室
館内は撮影NGですが、一部撮影OKの場所は撮影OKの表示がされています。

金荼美具足

本多平八郎忠勝公像
徳川四天王のひとりである本多忠勝。家康には過ぎたるもの、天下無双の勇士と称賛されていた。

しかみ像
三方ヶ原で負け戦となり、多くの家臣を失い、自戒の念を忘れないように描かせた「しかみ像」。

二の丸能楽堂
二の丸跡に建てられた屋外能楽堂。


隠居曲輪跡

お休み処 いちかわ
武将パフェが気になる・・・

龍城堀

辰巳櫓台下石垣
辰巳櫓は名前のとおり天守から辰巳(東南)の方角に位置します。城内で最も完成度の高い石垣で、大きさや形が整えられた石材が布積みで積まれています。特に隅角部の算木積みは精巧に加工された石材を使用し、稜線は直線になるように「江戸切り」で仕上げられています。
※現地説明板より



風呂谷門跡

月見櫓跡
本丸南に位置し、城主が月見をするための櫓が建っていました。丘陵の先端に建つ櫓の南方は見晴らしが良く月見には最適です。明治時代初めの古写真によれば、櫓の二階は板戸で開放できるつくりでした。風呂谷曲輪から本丸への経路を眼下に見下ろすことから、防衛上も理にかなった立地です。
※現地説明板より




竹千代通り

2024/11最終訪問
城郭周辺地図
愛知県岡崎市康生町
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