
上洛を目指した武田信玄は元亀3年(1572)10月3日に2万5000の軍勢を率いて甲府を出発、同年12月22日には浜松城の北側に広がる三方原に進出してきた。徳川家康は家臣の反対押し切って1万1000(徳川軍8000と織田信長3000)の軍勢を率いて浜松城を出発、武田信玄の軍勢に迫った。徳川軍はいつでも攻撃できるような鶴翼の形をとり、家康の陣形を確認した武田信玄は魚鱗の陣形をとった。戦いは日暮れに近いころ、ここ三方原の根洗付近で開始されたが、徳川軍は武田軍の前に惨敗、総崩れとなって浜松城に退却した。この戦いで敗れた家康は多くの教訓を得た。「浜松市史」ではこれをつぎのように記している。「この敗戦によって弾力のある積極性の重要さを身をもって体験した。また、野戦のかけひき、短時間で勝敗を決するという哲理を学びとったのである。家康が野戦の名将となったのは、三方原の敗戦によってえた経験が大きく作用している。」
※現地看板より
三方ヶ原の戦い | ||
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交戦勢力 | 徳川軍 | 武田軍 |
発生年月日 | 1573年1月25日 | |
場所 | 静岡県浜松市中央三方原町 | |
参戦武将 | 徳川家康 佐久間信盛 | 武田信玄 |
戦力 | 11000~28000 | 27000~43000 |
三方ヶ原古戦場関連施設
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家康公ゆかりの地

石碑

三方原墓園
