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武蔵国 花園城 [ HANAZONO CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナハナゾノジョウ
別称なし
スタンプ設置場所
曲輪配置連郭式
城郭種類山城
築城者藤田政行
築城年平安時代
廃城年1590年
主な城主藤田氏
指定史跡なし/不明
標高201.9 m
城址碑あり
案内板なし
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構石積み、土塁、空堀
現状史跡花園城跡
駐車場付近に駐車場なし
最寄り駅秩父鉄道秩父本線 波久礼駅


概要・現地案内板

当城址は標高208m中世期の蓮格式縄張による丘陵城郭の典型的山城で築城は室町末15世紀後半と推定される詰の城である。
往昔武州藤沢郡藤田郷領主の本城で別名を藤田城と言う。
新花園城主の系譜は皇統常代敏達帝二代小野妹子13代横山義孝弟猪俣時資四代の孫にて武蔵七党中始祖藤田玉郎政行が平安末久壽二年初めて当郷を領有し、以来累世18代嫡流相続し戦国時代迄約400年間北武蔵に武威を振い在城す。

※城址碑より


城犬のおいど 攻城記録


登城口


諏訪神社


竪堀


石積み


虎口


腰郭


堀切


二の郭


堀切4


本郭


城址碑


堀切5


藤田善導寺


浄土宗の寺であり白狐山悟院藤田善導寺ちいい、別名を藤田道場、又は藤田の壇林といいます。建物は、本堂を中心に山門、稲荷社、観音堂、大玄門からなります。中世の武蔵七党猪俣党の支流である藤田持阿良心上人により創建され、武蔵国における藤田派の中心の寺院として栄えました。また、天文年間(1532年頃)になって、督蓮社法誉聰上人が花園城主の藤田康邦の後援を受けて復興し、鉢形城主の北条氏邦も帰依して繁栄したが、

天正18年(1590年)豊臣秀吉の後北条氏攻略の軍勢による兵火の為に破壊され衰退しました。徳川家康入府の後、川越から照蓮社寂誉遵道上人が来て再興したので、これを中興としています。本尊として室町中期の作の阿弥陀如来を安置し、本堂と無常門は寛延3年(1750年)に建築されました。堂内には寛延6年には金竜斎宗信の絵画「百人一首画格天井」があり、また、平安時代末期作の木造釈迦如来像とも寄居町文化財に指定されています。寺宝として、江戸時代初期の雄誉霊厳上人の書「一枚起請文」の掛軸があります。
※現地看板より

正龍寺


禪宗曹洞派、花園城主藤田康邦の開基往古餡萱野なりし頃、池中に竜の栖みしを臨済宗の僧い乾翁瑞元といえるもの教化し、この地を開いて一寺を建立すとゆう。後曹洞宗となる。
※現地看板より

花園城主・鉢形城主の墓


藤田康邦・西福御前墓


北条氏邦・大福御前墓


2018/3最終訪問


城郭周辺地図

埼玉県寄居町大字末野


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