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蝦夷国 志苔舘(志苔城) [ SHINORI RESIDENCE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナシノリダテ
別称志濃里館
スタンプ設置場所志苔館あずまや
曲輪配置
城郭種類平山城
築城者小林氏
築城年室町時代
廃城年1457年
主な城主小林氏
指定史跡国指定
標高24.8 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構志苔館
現状史跡道南十二館 志苔館跡
駐車場付近に駐車場なし
最寄り駅


概要・現地案内板

志苔館跡は、函館市の中心部から約9キロメートル離れた標高25メートル程の海岸段丘南端部に位置している。
西側には志海苔川が流れ、南側は志海苔の市街地および津軽海峡に面し、函館市街や対岸の下北半島を一望することができる。
館跡は、ほぼ長方形をなし、四方は高さ2~4メートル、幅10~15メートルの土塁で囲まれ、その外側には、壕が巡らされている。
郭内は、東西70~80メートル、南北50~65メートルで、約4100平方メートルの広さがある。
また、館跡の正面にあたる西側には、二重に壕が掘られ、さらに外側に小土塁が巡らされている。
松前藩の史書「新羅之記録」によると、室町時代頃、道南地方には12の和人の館があり、志苔館もその一つで、小林太郎左衛門良景が居住していたことが記されている。
この記述によれば、康正2年(1456)志苔館付近でアイヌの蜂起があり、この戦いにより翌長禄元年5月14日志苔館が攻め落とされたといわれている。
戦いの後、再び小林氏が館に居住していたが、永正9年(1512)4月16日にアイヌの蜂起があり、志苔館は陥落し、館主の小林彌太郎良定が討死したといわれている。
その後は、小林氏が松前藩に従属したために、志苔館は廃館となった。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録



城郭周辺地図

北海道函館市志海苔町


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