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武蔵国 滝の城 [ TAKINO CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナタキノジョウ
別称本郷城
スタンプ設置場所
曲輪配置連郭式
城郭種類平山城
築城者不明
築城年平安時代
廃城年1590年
主な城主大石氏、後北条氏
指定史跡県指定
標高45.2 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構土塁、空堀
現状城山神社
駐車場駐車可能スペース
最寄り駅JR 東所沢駅


概要・現地案内板

滝の城は、狭山丘陵の一角が低地に向って落ちる急な崖を利用し、東南方を流れる柳瀬川を防御線とした平山城で、その敷地は約6万6千平方メートルである。現在でも本丸を中心とした遺構が良く保存されている。本丸は柳瀬川を眼下に見下す城の東南部に位置し、現在の社殿は櫓台跡の上にある。本丸の北西には、空堀へだてて二の郭的な曲輪があり、城はこの方向にいくつかの曲輪を配したようで、部分的に遺構が残存している。また、大手は、さらに北方に所在していたとみられている。この滝の城は、北条氏照の持城と考えられ、滝山城(永禄13年の戦いの後、八王子城に移る)の支城といわれている。
永禄7年(1564)の北条氏の清戸番衆交代命令状を見ても、清戸下宿に番所があって固めてあり、城の防備と密接な関係があったと推定される。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原城攻略の際、落城したものと考えられている。大正14年3月31日付けで埼玉県指定史跡となっている。

※現地説明板より


城犬のおいど 攻城記録


滝の城跡入口


二重堀跡


中堀


内堀(畝)


二の郭


滝の城跡保存会案内板


本丸跡


城山神社


滝の城落城後は愛宕神社が祀られていましたが、明治 41年に村内の天 神・熊野・八幡社を合祀し、「城山神社」となりまし た。

眺望


城址碑と説明板


稲荷神社


四脚門跡


平成2年4月所沢市による発掘調査が行われ高貴な四脚門跡が検出されました。又、遺物(鉄砲玉、飾り金具、角釘)等が出土しました。門跡は北側、馬出し郭、三の丸に続く通路として引橋がかけてあったようです。尚、天正18年(1590年)落城に伴う火災のため焼失しています。
※現地看板より

本丸虎口


本丸の四脚門跡に引橋が架けられていたと考えられる。

馬出跡


三の丸跡(別名)茶呑み郭


滝の城は太田氏により築城されましたが後に北条氏照(八王子城主)の持城となり永禄~天正年間(1557~1577)野州(栃木県)方面出兵の折りには本城より出陣しています。又、在城の時には三の丸において家臣と共に茶の湯を楽しんだとも言われています。
※現地看板より

大井戸跡


発掘調査によると、6段の階段を伴う井戸で、かなり深いものであったと推測されます。

門跡


東曲輪跡


物見櫓之跡


血の出る松跡


その昔、ここには傷をつけると赤色の樹液が出るとされる大きな黒松が立っていました。赤色の樹液は、落城した際に討ち 死した城兵の血ではないかと言われていました。その黒松は松は枯れてしまい、昭和47年に伐採されました。跡地には「血の出る松の跡」 の碑が立っています。

霧吹きの井戸跡


昔、井戸に竜が住んでいて、たびたび悪さをしたことから、村人たちは竜を退治するために、柳瀬川の対岸に舞台を作り、お祭り騒ぎをして竜をおびき出し、弓で射たという伝説があります。

石塔には、弘化 3 年(1846)建立の大峯大権現と刻まれています。

2024/8最終訪問


城郭周辺地図

埼玉県所沢市大字城


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