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甲斐国 躑躅ヶ崎館 [ TSUTSUJIGASAKI RESIDENCE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナツツジガサキヤカタ
別称武田氏館
スタンプ設置場所武田神社宝物殿入口 09:30-16:00
武田神社神府集札授与所 09:30-16:00
曲輪配置連郭式
城郭種類平城
築城者武田信虎
築城年1519年
廃城年1594年
主な城主武田氏、川尻氏、徳川氏、豊臣氏、加藤氏、浅野氏
指定史跡国指定
標高349.1 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構石垣、土塁、水堀、空堀、土橋、井戸跡
現状武田神社
駐車場武田神社 駐車場
最寄り駅JR 甲府駅


概要・現地案内板

「武田氏館」は、「躑躅ヶ崎館」とも呼ばれ、武田信玄の父、信虎が、永正16年(1519)に石和からこの地に、館を移したことから始まります。
その後、信玄・勝頼と、武田家当主の館として使われました。
そして武田家の滅びた後、文禄年間に館の南方に今の甲府城が作られるまでの、約70年にわたり、この館一帯は、領国の政治・経済と文化の中心として発展しました。
館は、一辺が約200メートルの正方形の主郭(現武田神社)を中心に、その回りのいくつかの副郭とによって構成された平城形式のものです。
館の回りには、家臣の屋敷が建てられ、南方一帯には格子状に整備された道路に沿って、城下町が開けていました。
この館と城下町は、戦国時代の大名の本拠として、第一級の規模と質を誇るものです。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


神橋


武田神社


右近乃橘


左近乃櫻


拝殿


中曲輪


甲陽武能殿


武田水琴窟


竹筒に耳をつけてお聞きください。

姫の井戸


この水は境内「姫の井戸」のお水です。「姫の井戸」は躑躅ヶ崎屋形の内でも其の生活の中心となる場所に有り、一説によると信玄公の御息女誕生の折、産湯に使用した事に因り「姫の井戸」と名付けられたと云い、また「茶之湯の井戸」とも言われ、この井戸より発見された茶釜等の品々が現存宝物殿に展示されており、

当時の生活を推測する貴重な資料であるとともに、この茶釜は勝頼公(信玄公継嗣)が京よりの客をもてなす茶会の折使用した茶釜とも云われており、屋形内で茶を点てるときにはこの井戸の水を用いたと伝えられております。
※現地看板より

虎口



武田氏館配置図


この地は武田氏三代(信虎・信玄・勝頼)の居館にして躑躅ヶ崎の西方にあるところから後世この別称を用いたと伝えられる。屋形一帯の壕塁・縄張りは左図の如き構成でほぼ現存し往時を偲ぶに足る。居館中心地域については各説あるも一応左図の如き屋形配置が想像される。
※現地看板より

西曲輪


西曲輪は、武田信玄の長男であった武田義信と駿河の今川義元の娘との結婚に合わせて天文20年(1551)に築造された義信の新居です。義信は謀反の罪に問われ、東光寺で自害したため、西曲輪のその後の利用は明らかになっていません。現在地は、西曲輪の北側に位置し、枡形虎口と呼ばれる出入口の構造が残されています。

虎口とは、城館の出入口のことを指し、門と土塁で仕切られた広場の形が一升枡のように四角いことから、枡形虎口と呼ばれています。枡形虎口には2箇所に門が設けられており、石垣のある通路部分の発掘調査で礎石を確認しています。現状では、武田氏滅亡後に石垣が設けられていますが、枡形虎口は、武田氏の築城技術を代表する構造とされています。
※現地看板より

井戸


西曲輪北側枡形虎口


西曲輪の内側に位置する南門は、北門に比べて土塁先端部の石垣や間口の規模が大きく、門の構造自体も違っていたと考えられます。石垣は、野面積みと呼ばれる自然石をそのまま積上げる技法で積まれており、背面には栗石と呼ばれる礫が使用されています。このような石垣の技術は、西日本から導入されたものであり、現在見られる石垣は、武田氏滅亡後に設けられたと考えられます。

その石垣と重複する位置から発掘調査で門跡の礎石が6枚確認されています。石垣よりも古い時代であり、武田氏の時代に存在した門の可能性が高いと考えられています。礎石から推測される門の規模は、幅約3.3m、奥行き約3.8mであり、土塁の高さと西側の階段の存在を考慮すると、櫓構造の門であったと考えられます。
※現地看板より

西曲輪北側枡形虎口南門


土塁


土橋


西曲輪北側枡形虎口北門


天守台


武田神社大手門


大手石塁と三日月堀


武田氏館の正面玄関にあたる大手正面には、館の出入口である虎口を守るために築かれた石塁が存在します。石塁は、石積みの技法などから武田氏滅亡後に築かれたものと考えられます。また、石塁の直下からは新たに三日月堀が発見されました。三日月堀は、丸馬出と呼ばれる館の出入口を守る施設の一部であり、内側に土塁を伴っている場合が多いようです。

丸馬出は、武田氏領国内で数多く確認されていることから、武田氏が積極的に用いた施設と考えられています。山梨県では新府城跡(韮崎市)に続き2例目となりました。このように、武田氏時代の遺構とその後の勢力によって築かれた遺構が重なり合って発見されています。
※現地看板より

厩跡


惣堀北側虎口


2024/3最終訪問


城郭周辺地図

山梨県甲府市古府中町


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