城郭DATA -CASTLE DATA-
項目 | 内容 |
---|---|
ヨミカナ | カサマジョウ |
別称 | 桂城 |
スタンプ設置場所 | かさま歴史交流館 井筒屋 09:00-21:00(月曜休み) |
曲輪配置 | |
城郭種類 | 山城 |
築城者 | 笠間時朝 |
築城年 | 1219年 |
廃城年 | 不明 |
主な城主 | 笠間氏、宇都宮氏、蒲生氏、牧野氏 |
指定史跡 | 県指定 |
標高 | 202.9 m |
城址碑 | あり |
案内板 | あり |
現存建造物 | 八幡台櫓(真浄寺)、裏門(民家)、城門(民家) |
復元建造物 | 模擬鐘楼(山麓公園) |
遺構 | 土塁、空堀 |
現状 | 史跡笠間城跡 |
駐車場 | 千人溜駐車場(無料) |
最寄り駅 | JR 笠間駅 |

概要・現地案内板
笠間城は、笠間氏の初代時朝の築城伝承を持ち、中世は笠間市の居城として使用されました。
天正18年(1590)に笠間氏が没落すると、宇都宮氏家臣の玉生氏が、慶長3年(1598)には、蒲生郷成が城主となりました。この郷成が笠間城を近世城郭として変貌させてたと考えられます。
近世は笠間藩の居城として機能し、政務の利便性のために下屋敷が建設された後も、山城部分は維持されました。
茨城県では唯一本格的な石垣が築かれており、当時の姿を見ることができます。
※現地案内板より
城犬のおいど 攻城記録
井筒屋

スタンプ設置場所
続日本100名城スタンプ設置場所

的場丸(千人溜り跡)
この広場はいざ出陣というとき武士が集結した所で古園には駒場丸といい俗にこの称がある。
※現地石柱より

駐車場

看板


大手門跡



中門跡


本丸跡



宍ヶ崎櫓跡



八幡台


八幡台櫓跡


城址碑
ここ佐白山は、古くから正福寺や百坊があって、信仰の山として栄えていた。鎌倉時代の初め、正福寺と徳蔵寺の勢力争いのため、下野国からつかわされた藤原時朝が、正福寺と百坊を滅ぼして城を築き、笠間氏を名乗ってこの地方を支配した。笠間氏に18代続き天正18年(1590年)に亡んだ。

その後、蒲生、松平、小笠原、永井、浅野、井上、本庄などの諸民の居城となった。明治初年、本丸下屋敷などの殆どがこわされ、今に苔むす石塁を残すのみとなったが自然の要害をたくみに利用した関東地方では珍しい山城の遺跡である。
※現地石碑より

笠間城について
ここ佐白山は、「お城山」ともよばれ、市民に親しまれている。それは今から七百数十年の昔、鎌倉時代に笠間地方初代の領主笠間時朝によって、16年の歳月を費やして築かれた山城があり、明治の始めまで約600年間、地方政治の中心であったからでもある。

城の地積は、およそ16000平方メートルと推測され、天然の地形を巧みに利用して「三の曲輪」「二の曲輪」「帯曲輪」「殿守曲輪」を設け、曲輪には白壁の塀をまわし、出入口を城門でかため、要所には「宍ヶ崎櫓」「八幡台櫓」「殿守櫓」を配置し、守るに易く攻めるに難い要害堅固な山城であった。今は苔むした石垣、礎石などが、ありも昔をしのぶようすが残るのみである。想を江戸の昔にはせれば、緑なす木の間がくれに遥かの地から望み見た白の城壁、山頂に8万石の偉容を誇るかにそそり立つ二層の殿守、それは典型的な山城であり、「桂城」とたたえるにふさわしい名城そのものでもあった。
※現地看板より

本丸東門跡





天守曲輪



佐志能神社




大黒石
鎌倉時代初め、佐白山の僧兵と七会の徳蔵寺の僧兵がその勢力を争って戦った。佐白山の僧兵は戦いに敗れて佐白山頂近くまで逃げのび、山上にあった大黒石をころがした。徳蔵寺の僧兵は、ころげ落ちる大黒石の下じきになり多くの死者が出たため、佐白山の僧兵は、あやうく難をのがれることげきた。大黒石はそのときここまでころげ落ちて止まったといわれています。
※現地看板より

九ちゃんの家
大ヒット曲『上を向いて歩こう』を歌っていた坂本九さんの、疎開中住んでいたという家があります。
御巣鷹山の日航機墜落事故で亡くなられたのですが、笠間稲荷神社の熱心な信者であり、事故に遭ったこの日もお守りを身に着けていたことにより、ご遺体が九ちゃんであることが判明したとのことです。

大石邸跡
ここは、浅野氏赤穂藩の国家老で「忠臣蔵」の物語で名の知られた大石内蔵助良雄の曽祖父良勝及び祖父良欽が住んでいた屋敷跡である。浅野氏は、元和8年(1622)に笠間53500石の藩主になったが、その頃の笠間城は佐白山頂近くの本丸で政務を執っていた。浅野氏はよりよい政治をするため、城下町に近い台地(今の山麓公園)に笠間城の下屋敷として御殿を建て、また笠間城下町を整え現在の笠間市街地の基を造った。

笠間藩主浅野長直の家老である大石氏は、御殿の直ぐ下にあるこの地に屋敷を与えられていた。長直は、正保2年(1645)に赤穂へ国替えとなったが、その後の代々の笠間藩主もこの地を家老屋敷として与えていた。
※現地看板より

大石内蔵助良雄像

旧笠間城八幡台櫓
笠間城本丸の八幡台にあったものを、1880年(明治13)に現在地(真浄寺:笠間市笠間323)に移築復元した櫓です。



2024/3最終訪問
城郭周辺地図
茨城県笠間市笠間
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