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甲斐国 新府城 [ SHINNPU CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナシンプジョウ
別称韮崎城
スタンプ設置場所韮崎市民俗資料館 09:00-16:30(木曜13:00-16:30)
曲輪配置連郭式
城郭種類平山城
築城者武田勝頼
築城年1582年
廃城年1590年
主な城主武田氏、徳川氏
指定史跡国指定
標高523.5 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構土塁、空堀
現状史跡新府城跡
駐車場新府公園駐車場
最寄り駅JR 新府駅


概要・現地案内板

新府城は、天正10年3月織田軍の侵攻を前に、武田勝頼自ら火を放って東方郡内領岩殿城を指して落ちていった武田家滅亡の歴史を伝える悲劇の城跡である。
本城は南北600メートル、東西550メートル、外堀の水準と本丸の標高差80メートル。
型式は平山城で、近世城郭のような石垣は用いず、高さ約2.5メートルの土塁を巡らしている。
最高所は本丸で、東西90メートル、南北120メートル、本丸の西に蔀の構を隔てて二の丸があり馬出しに続く。
本丸の東に稲荷曲輪、二の丸を北方に下れば横矢掛かりの防塁があり、その外側に堀を巡らしている。
堀は北西から北、北東へと巡り、北方の高地からの敵襲に備えて十字砲火を浴びせるための堅固な二ヵ所の出構が築かれている。
三の丸の南方には大手が開け望楼があり、三日月形の堀とその外側に馬出しの土塁が設けてある。
本丸と東西三の丸、三の丸と大手等の間には、帯曲輪、腰曲輪がある。
搦手にも望楼がある。
蔀の構、出構は新府城の特色で防御のために工夫されたもので、特に出構は鉄砲のような新鋭兵器をもって敵の攻撃に対抗するために工夫された構えといわれる。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


大手馬出


大手門の前に築かれた馬出しの跡である。馬出しの跡である。馬出しというのは城門の前に築いて、人馬の出入りを敵に知られぬよう、また城の内部を見通せないようにした土手をいう。馬出しは甲州流築城法の特色の構である。
※現地看板より

新府城跡大手


新府城跡の大手には、方形に土塁で囲まれた枡形虎口、その外側に半月形をした丸馬出と付属する三日月堀が外側斜面下に配置された、三段構えの防御施設が城山南中腹に設けられています。丸馬出からは、南に甲府盆地西部と御坂山系の上に富士山が、西には釜無川の対岸に勝頼夫人が願文を奉納した武田八幡宮や武田信義館跡等がある武田の里を一望できます。
※現地説明板より

土塁


枡形虎口


方形に土塁で囲まれた枡形は、東西20m南北15mの広さがあり、北と南に虎口(出入口)が設けられています。北側(城内側)には、高さ3.4m、幅10mの大きな土塁にはさまれた中央部に間口約5mの幅の虎口があります。南側(丸馬出側)には、高さ1.2m、幅5mの低い土塁にはさまれた間口約1mの虎口があります。
※現地説明板より

三日月堀


丸馬出と三日月堀


枡形虎口の前(南)面に東西約30m、南北約15mの半月形の平らな部分とその外(南)側に弧を描く低い土塁が、丸馬出の主要部です。丸馬出の東と西にそれぞれ枡形虎口を確認しました。この土塁の南斜面下10mには、丸馬出に付属する三日月の形をした堀があります。発掘調査で、この堀の形は堀底が平らな箱堀であることが確認されています。
※現地説明板より

西三の丸


二の丸


蔀の構


本丸と本丸馬出しの間にある。蔀は城内を見透かせないように工夫したもので、植込・蔀土居・蔀塀の構えである。
※現地看板より

小塚 長篠役陣没将士之墓


石祠・武田勝頼公霊社


大塚 長篠役陣没将士之墓


神楽殿


拝殿と本殿


新府藤武神社


井戸跡


本遺構は、調査前の上端の直径が32mある擂鉢状の大きな窪地で、発掘では現状の地表面から4mの深さになっても底に到達しなかった。七里岩台地の堅い地盤を掘りくぼめ、浸み出した水や雨水を集める構造であったと思われる。井戸底まで螺旋状の通路が設けられる巻巻井戸の可能性もあったが、その遺構を確認できていない。

整備では、検出した井戸内側斜面を保護するために植裁(リュウノヒゲ等)し、見学通路として井戸の中に至る階段を北側に設けた。なお、北西100mの帯郭にも井戸跡とみられる同様の形状の窪地がある。
※現地説明板より

新府城跡乾門 枡形虎口


城の北西隅につくられたこの虎口は、西側の七里岩の崖と東側に広がる水堀の間を土橋によってわたる構造で、入り口側が低く、奥側が高い土塁に囲まれた不整方形をした桝形虎口となている。桝形内部空間は、東西13m、南北12mの広さがある。入口側の低い土塁に挟まれた一之門は北西角、奥側の高い土塁に挟まれた二之門は南東隅寄りに設けられている。桝形内部で折れをもって入る形態となっており、

表面は土のままで石を敷き詰めたような痕跡は認められていない。一之門跡では、幅約1.55mの間隔で直径45㎝前後の円形の柱穴が2個検出された(柱穴の中心で測る柱の間隔は約2m)。二之門跡の調査では、左右の土塁際に3個ずつ、合計6個の礎石が確認された。左右対称に並べられた礎石からもとめられる間口は2.5m、奥行きは2.8mあり、礎石は一辺40~60㎝と大きさの異なる自然石で、入り口側から大・小・中の大きさに並べられ、その間は地覆石が配されている。本整備事業では、発見した門跡遺構を埋設して保護したのち、その上に一之門は柱穴の位置表示、二之門は礎石の復元表示を行っている。
※現地説明板より

新府城跡北側の堀


新府城跡の北側山裾には外側に向って、帯郭・土塁・堀などの諸施設が設けられているが、西堀(水堀)以外の堀跡は、周辺の湧水を水源とした水田が開かれるなど、廃城後の土地利用による改変で旧状は不明であった。環境整備事業にともなう発掘調査により、中堀では、山際から埋もれていた深い堀跡が確認された。この発見された堀は、断面が逆台形状となる箱堀と推定され、

西堀の東端から始まり、堀幅は6~7m、深さは25m前後で、西出構の手前で閉じている。また堀の北側には堀と並行する低い土手状の高まりが見られる。堀は直線ではなく2箇所に折れをもった構造で、城側の土塁も同じ個所で折れをもつ。西出構と東出構の間にも、発掘調査によって同様な深い堀跡が発見された。堀は、城側の土塁に沿って3箇所の折れがみられる。この堀は、西出構の東出構の西側の両方で閉じている。東出構の東側では深い堀は確認できていない。

今回の調査によって、築城時には中堀・東堀の山際は幅約6~7m、深さ約2.5mの深い堀と、その北側は幅30m前後の湿地帯がセットになって城の北側を防御していたことが明らかとなった。そのため装備では深い堀跡と浅い湿地帯の形状を復元し、新府城の使用時の状況を伝えることを主眼とした。西堀(水堀)は、発掘調査を実施せずに現状のままを樹木の間伐と植栽などの修景を行った。
※現地説明板より

東出構


韮崎市民俗資料館


入館無料
開館時間
火曜日~日曜日
午前9時~午後4時30分

木曜日
午後1時~午後4時30分

スタンプ設置場所


続日本100名城スタンプはこちら。

※休館日・開館時間外のスタンプの押印はできません。休館日は、民俗資料館入口に設置してあるスタンプ押印済み用紙をご利用ください。(新府城やそのほかの場所にスタンプの設置はありませんので予めご注意ください)

2023/9最終訪問


城郭周辺地図

山梨県韮崎市中田町中條

駐車場のGoogleMAP


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