城郭DATA -CASTLE DATA- 
項目 | 内容 |
---|---|
ヨミカナ | タキノガワジョウ |
別称 | なし |
スタンプ設置場所 | ー |
曲輪配置 | - |
城郭種類 | 平山城 |
築城者 | 滝野川氏 |
築城年 | 文明年間 |
廃城年 | 1477年 |
主な城主 | 滝野川氏 |
指定史跡 | 不明または未指定 |
標高 | 15.9 m |
城址碑 | なし |
案内板 | あり |
現存建造物 | なし |
復元建造物 | なし |
遺構 | なし |
現状 | 金剛寺 |
駐車場 | 近隣の有料駐車場 |
最寄り駅 | JR 王子駅 |

概要・現地案内板
石神井川沿いの金剛寺付近を中心に、この地の名族豊島氏の平塚城の支城であったと考えられる。
文明9年(1477)太田道灌と戦い、本家豊島氏とともに滅亡し、廃城となる。また、源頼朝がかつて鎌倉へ向かう途中、この地に布陣したという伝承がのこっている。
城犬のおいど 攻城記録
金剛寺

源頼朝の布陣伝承地
治承4年(1180)8月、源頼朝の三男頼朝は、配流先の伊豆国で兵を挙げました。初戦に勝利するも石橋山の合戦で破れ安房国に逃れ、そこから上総国・下総国の諸将を味方につけ、墨田川・板橋を経て、府中六所明神へ向かい、さらにそこから鎌倉を目指します。そして鎌倉の大倉に本拠を築いた頼朝は、後に鎌倉幕府初代将軍として、その場所に政権を樹立することとなるのです。

この途次の10月、源頼朝は軍勢を率いて滝野川の松橋に陣をとったといわれています、松橋とは、当時の金剛寺の寺域を中心とする地名で、ここから見る石神井川の流域は、両岸に岩が切り立って、松や楓があり、深山幽谷の趣をもっていました。弁財天を信仰した頼朝は、崖下の洞窟の中に祀られていた弘法大師作と伝えられる弁財天に祈願して、金剛寺の寺域に弁天堂を建立し、田地を寄進したと伝えられています。
※現地看板より


松橋弁財天洞窟跡

江戸名所図会

緑地公園


2021/12最終訪問
城郭周辺地図
東京都北区滝野川
近隣の有料駐車場
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