城郭DATA -CASTLE DATA- 
項目 | 内容 |
---|---|
ヨミカナ | オオタキジョウ |
別称 | 大滝城 |
スタンプ設置場所 | 大多喜町観光本陣 09:00-17:00 |
曲輪配置 | 連郭式 |
城郭種類 | 平山城 |
築城者 | 真里谷信清 |
築城年 | 1521年 |
廃城年 | 1871年 |
主な城主 | 真里谷氏、里見氏、本多氏、阿部氏、青山氏、稲垣氏、松平氏 |
指定史跡 | 県指定 |
標高 | 72.8 m |
城址碑 | あり |
案内板 | あり |
現存建造物 | なし |
復元建造物 | あり |
遺構 | あり |
現状 | 史跡大多喜城跡 |
駐車場 | 大多喜城来場者用駐車場(無料) |
最寄り駅 | いすみ鉄道 大多喜駅 |

概要・現地案内板
上総大多喜城は、戦国時代に築かれ、小田原北条氏の滅亡に伴い、徳川四天王の一人である本多忠勝がこの地に十万石で封じられました。
城主は、本多氏三代のあと、阿部氏等の譜代大名が入りましたが、元禄16年(1703)の松平氏の入城以降は9代続き、最後の城主松平正質の代に明治維新を迎えました。
※現地案内板より
城犬のおいど 攻城記録
大手門(歓迎門)
「大手門」は、ここから北西約150メートルの所に大多喜城の正門として建立され、築城当時の慶長年間には吊り橋がかかっており人工的に持ち上げるようになっていました。又、自然の要害にさらに人工的防禦施設を施し門の両壁は高い土塁と石垣で固められ、

外壁は水成岩が垂直に削り取られていて常に水分を含みいかなる方法をもってしても侵入できないようになっていました。尚現在のこの門は、昭和57年5月に新たに建設され、町民から名称の募集を行い「大手門」と命名されたものであり、その後、傷みが進んできたため、平成21年9月に街なみ環境整備事業により修景を実施したものです。
※現地看板より


大手門跡

薬医門
大多喜城内で使われていた門の一つです。明治のはじめに城がとりこわされると、この門も城下の民家にはらい下げられました。その後、学校の門として再びこの地に移されました。昭和47年に大修理がなされ、現在に残された大多喜城ただ一つの建物です。
※現地看板より


大井戸
大多喜城内にあった三十数個の井戸の一つです。初代城主の本多忠勝の時に掘られたといわれ周囲約十七メートル、深さ二十メートルで、日本で最も大きな井戸の一つにあげられます。当時は八個の滑車と十六個のつるべ桶があり、

水がつきることなくわき出ることから「底知らずの井戸」と呼ばれました。
※現地看板より

駐車場


大多喜水道
城下町大多喜は、昔から良い飲み水に恵まれず、人々の苦労は絶えませんでした。最後の城主である松平(大河内)正質の頃ようやく水道の工事が具体化し、翌明治二年(1869)11月に工事を始め、翌明治3年5月に完成しました。この水道によって、城下200戸が潤い、20ヘクタールの水田の灌漑が行われました。
※現地看板より

大多喜城分館の休館について
大多喜城分館は、施設改修のため、令和3年12月27日(月)からしばらくの間休館しています。休館中は、城には入れませんが、敷地内への立ち入りは可能です。敷地内からは城郭の写真撮影などができます。研修館は御自由に御見学ください。
※現地看板より

空堀
城には、敵が攻めにくいように堀を作りました。堀のなかで水のないものを空堀といいます。山城の堀は空堀が多く、平城は低いところに作られているため、ほとんどが水堀でした。空堀の底は土や石なので、落ちるとケガをするため、水堀よりかえって攻めにくいといわれています。大多喜城の空堀は、西側の守りに多く作られています。
※現地看板より




研修館






大多喜城分館

城址碑

土塁
土塁は、堀とともに城を守る大切な備えです。土塁は堀と組み合わせて作られ、堀を掘り上げた土で、土塁を作る方法がとられています。土塁は、城内が見えないように作られていました。勾配は、敵が入りにくいように、城の外側を急勾配に作ります。大多喜城では、この本丸跡の周囲に、土塁が見られます。
※現地看板より




上総大多喜城絵図
上総大多喜城は、初代城主本多忠勝によって築かれ、西から東に張り出す丘陵を利用し、本丸・二の丸・三之丸を配置し、西は尾根を切る空堀、南は夷隅川に落込む急崖、東と北は水堀という要害堅固の城です。この城絵図は明治元年(1868)、最後の城主松平正質の時、作図されたものです。
※現地看板より

大多喜メモリアルルート案内図



塀
城内は、それぞれの役割によって区分されていました。その区切に様々な塀が工夫され作られていました。大きく分けて「板塀」と「土塀」がありますが、「板塀」は火災や鉄砲に対して役立たないため、城では、ほとんど「土塀」が作られました。
※現地看板より




桃の飾り瓦
魔除けとされている。

二之丸公園入口


梵鐘

二の丸


御禁止川
大多喜城の本丸下を流れるこの川は、城主が江戸時代に魚を獲ることを禁止したので御禁止川と呼ばれていました。城主が参勤交代の折には、御禁止川の「むらさき鯉」を、将軍家に檜のたらいに入れて、生きたまま献上したといわれています。
※現地看板より


大多喜町観光本陣駐車場

大多喜町観光本陣

スタンプ設置場所
続日本100名城スタンプ設置場所


2025/3最終訪問
ここからは、かつての分館内の画像
ちなみに、現時点では改修工事の終了は未定だそうです。





2017/4訪問時の記録
城郭周辺地図
千葉県大多喜町大多喜
[ HOME ] [ 城郭データーベース ] [ 千葉県の城郭一覧 ]