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信濃国 松本城 [ MATSUMOTO CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナマツモトジョウ
別称深志城
スタンプ設置場所松本城管理事務所 08:30-17;00
曲輪配置梯郭式+輪郭式
城郭種類平城
築城者小笠原長棟
築城年1504年
廃城年1871年
主な城主小笠原氏、石川氏、松平氏、堀田氏、水野氏、松平氏
指定史跡国指定
標高591.0 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物あり
復元建造物あり
遺構あり
現状史跡松本城跡
駐車場松本市営開智駐車場
最寄り駅JR 松本駅


概要・現地案内板

松本城は北東から南西に緩やかに傾斜した扇状地上にある平城です。
戦国時代の初めに守護大名小笠原氏の支城としてこの地に深志城が築かれ、1550年に甲斐(山梨県)の武田氏が小笠原氏を追放し、深志城を信濃支配の拠点としました。
武田氏滅亡後、小笠原氏が関東へ移った後の城主石川数正・康長父子により、天守の建築(1593~1594)などの整備が行われ、近世城郭としての松本城の姿が整えられました。
松本城の範囲は、総堀に囲まれた内側を指し、総面積は約39万平方メートルあり、その約3分の1を三重の水堀が占めています。
総堀の内側に三の丸、二の丸、本丸が配置され、三の丸は家臣の屋敷地、外堀で囲まれた本丸には天守と本丸御殿(1727年焼失)がありました。
天守は、明治維新の際に市民の尽力により取り壊しの危機から救われて現存し、国宝に指定されています。
本丸、二の丸、内堀、外堀・総堀・西総堀土塁の一部は史跡に指定され、天守と一体となって城郭の姿を今に伝えています。

※現地案内看板より


城犬のおいど 攻城記録


埋橋


高麗門


黒門


松本城黒門は、天守のある松本城本丸の正門です。往時、最も格式高いとされていた「黒」の名を冠しています。昭和35年(1960年)に一の門(本丸側・内側)が名古屋城一の門を参考に復興建築されました。その後、平成2年(1990年)に二の門(内堀側・外側)及び袖塀が復元されました。一の門と二の門の間の四角い空間は「黒門枡形」と呼ばれています。

戦のとき、ここを簡単に突破されないよう、進入路を土橋で直角に曲げて、攻めてきた敵の側面から攻撃できるようにしていました。
※現地看板より

本丸御殿跡


天守入口


ー渡櫓ー

丸太柱


乾小天守は天守の北に位置するのに、乾と呼ばれるのは、北は叛く、敗れるなどの意があり、忌み嫌われたからである。三重四階の櫓は、天守と渡櫓で連結している。乾小天守は天守と構造が異なり丸太柱が使用されている。一・二階の10本と三・四階の通し柱12本は丸太材である。用材はツガ・モミ・アスヒで、表面仕上げは手斧はつりである。なお柱間は江戸間(6尺=1間)である。
※現地看板より

武者走


天守一階の周囲1間通りは、内側の床より50cm低い。これを入側または武者走と呼ぶ。戦闘の時、武士が矢玉を持ってここを走りまわるのでその名がついたという。武者走の外側の柱列をよくみると曲線を描いていることがわかる。これは下の天守台石垣の天端の線が糸まき状曲線に仕上げてあるためである。この影響は二階にも及んでいる。
※現地看板より

鯱真木


この鯱真木は、昭和の修理の際、新しい真木と取り替えられたもので、「天保十四年(1843)四月取替」と墨書きされている。長さは190cmで大棟下の棟木に取り付けられ、その先端80cmが鯱の中に入っていた。
※現地看板より

土台支持柱


天守の土台は、天守台の中に埋めたてられた16本の土台支持柱によって支えられていたことが、昭和の修理でわかった。支持柱は土台の入側通りに12本、中央部に4本が、碁盤目状に立てられていた。支持柱はすべてツガ材で、径36.3cm~39.3cm、長さはおよそ5mあり、その下端は地盤に達し、上端は土台に「ほぞ差し」になっていた。この土台支持柱は、北側東より2本目の柱の一部である。
※現地看板より

懸魚芯材


松本城天守の千鳥破風と入母屋破風には「かぶら懸魚」を取り付けてある。この懸魚芯材は、辰巳附櫓のものである。材はヒノキで創建当時のものと推定される。芯材の下げ苧(麻)を細かく釘止めしてから、白漆喰を塗り重ねて仕上げる。上部の「六葉」と「樽の口」は黒漆塗りである。
※現地看板より

武者窓


天守二階の東・南・西側と四階の東と西側は柱間に5本の堅格子をはめた武者窓である。格子は4寸5分(12cm~13.5cm)の角材を用い上下の框も大きい。内側から武者窓を見ると、外光を遮る明暗の縦幅が大変美しい。なかでもこの窓が5連あるいは3連の二階南側と東側は城らしく豪壮な感じを受ける。なお、外側は上部に蝶番のついた突上戸で風雨を防いでいる。
※現地看板より

御座所


天守四階は、三階までの各階とガラリと室内の趣が異なっている。柱が少なく天井が高い上に、四方から外光が入るので明るく広々とした感じを受ける。柱・鴨居・長押などはすべて鉋仕上げで、鴨居の上には小壁もあり居室風に設えてある。敷居がないので建具は用いられていなかったが、幕や屏風で仕切れば入側と二つの部屋に分かれる。有事の際、六階とともに城主の座所に当てられた場所と考えられる。
※現地看板より

階段


松本城天守の階段は、一階から六階までに7箇所設けられている。その位置がお互いに離れているばかりでなく、どの階段も勾配が急(55°~61°)で、特に四階から五階へと登る階段は蹴上げが約40cmあり最も険しい。
※現地看板より

二十六夜神


元和3年(1617)松本に入封した戸田氏が祀ったとされており、月齢26日の月を拝む信仰で、戸田氏は毎月3石3斗3升3勺(約500キログラム)の米を炊いて供えたと云われています。今日まで松本城が火災等の災害に遭わず、無事残っているのは、“二十六夜神のおかげ”とされています。
※現地看板より

ー辰巳附櫓ー

辰巳附櫓二階


天守の辰巳(南東)にあたり、隣接している月見櫓とともに松平直政によって寛永年間に増築されました。櫓西面の北から2本の柱は天守の柱に添えられていて、付設されたことがわかります。上方が狭く下方が曲線状にひろがった花頭窓は、禅宗建築とともに鎌倉時代に中国から伝わり、次第に城郭建築にも広がりました。松本城天守には乾小天守四階にも設けられています。
※現地看板より

花頭窓


窓の上方が尖った特殊なアーチ型になった窓を花頭窓という。禅宗寺院の建築に見られる形式で、中国におこり我が国へは鎌倉時代に入った。それが後には、城郭建築にも広がった。松本城では乾小天守四階に2箇所、辰巳附櫓二階に2箇所設けられている。窓の内側には、引分の板戸が付き、下の敷居には水切りの小穴があけられている。
※現地看板より

ー月見櫓ー

月見櫓


北・東・南に設えてある舞良戸を外すと、三方吹き抜けになり、回りに巡らされた朱塗りの回縁や船底型の天井など書院風の造りと相まって、優雅な雰囲気を醸し出し、天守・渡櫓・乾小天守と比べ開放的で、平和な時代に造られたことがよく分る。

この月見櫓は松本城主松平直政(家康の孫)によって、一国一城令という統制の厳しい中、寛永年中に三代将軍家光を迎えるため、増築されたものである。現存する城郭建築の中で月見櫓を持つのは松本城と岡山城だけであるが、天守と一体となっているのは、松本城だけである。
※現地看板より

二の丸御殿跡


二の丸御殿は初め藩の副政庁として造営されたが、享保12年(1727)本丸御殿焼失後は正政庁となった。廃藩後、一時筑摩県庁舎として用いられたが、明治9年(1876)6月焼失した。
※現地二の丸御殿絵図より

太鼓門礎石


飯森家は中町の肴問屋で松本藩の賄御用を勤め、その記念として明治維新の際、太鼓門の礎石二個をもらい受け、鏡柱の礎石一個を自宅に保存していた。昭和48年(1973)に松本城の諸施設の復元の資料となることを願って、この礎石が飯森家から松本市に寄贈された。
※現地看板より

太鼓門


太鼓門枡形は、奥の大きな一の門、手前の小さな二の門、一の門と二の門の間の枡形から構成されています。太鼓門は三の丸から二の丸へ入る正門で、一の門正面の石垣には「玄蕃石」と呼ばれる大きな石が据えられています。門は朝6時に開けられ、夕方6時に閉められました。

太鼓門北側門台上に、藩士召集の合図や時を知らせるための鐘と太鼓を備えた「太鼓楼」があったことから太鼓門とよばれました。太鼓門は、江戸時代初めには完成していたと考えられています。明治4年(1871)に取り壊され、現在の門は平成11年(1999)に復元されたものです。一の門・二の門・周囲の塀に囲まれた枡形は、攻め入った敵兵の動きを封じ、周囲から攻撃するためのものです。

また、堀を渡る土橋は、門側の幅が狭くなる「鵜の首」とよばれる形をしており、敵兵の進攻を遅らせるためのものといわれています。太鼓門枡形のこうした特徴から、正門として、また戦いに備える門としての姿をうかがうことができます。
※現地看板より

玄蕃石


太鼓門枡形二の門(高麗門)


太鼓門土橋(鵜の首)


牛つなぎ石


今川・北条方が太平洋岸の塩の道筋を封じ、甲州・信州の民を困窮させた。このことを知った上杉謙信が、敵対関係にある武田領へ日本海岸の塩を送りました。その際塩を積んだ牛車をつないだと伝わる石である。

国宝松本城氷彫フェスティバル

国宝 松本城天守 プロジェクションマッピング

2024/1最終訪問


城郭周辺地図

長野県松本市丸の内

松本市営開智駐車場のGoogleMAP


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