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武蔵国 天神山城 [ TENJINYAMA CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナテンジンヤマジョウ
別称天神山砦
スタンプ設置場所
曲輪配置
城郭種類山城
築城者扇谷上杉氏
築城年戦国時代
廃城年不明
主な城主不明
指定史跡不明または未指定
標高50.0 m
城址碑なし
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構あり
現状新川天神山青少年広場
駐車場付近に駐車場なし
最寄り駅京王電鉄 つつじヶ丘駅


概要・現地案内板

天神山

島屋敷の東なり。
天満天神の社ありしが、いまは野川村へ移せり。
その旧跡なり。
古えは梅の大木ありしが、いまは枯れて朽根ばかり残れり。
又云東西に堀切の空湟あり。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


中央道ガード下


新川天神山青少年広場


主郭


案内看板


天神山は、江戸時代の地誌である「武蔵名勝図会」に名がみられる、戦国時代の山城です。蛇行する仙川に囲まれた半島状の地形を利用し、陸続きの北側のみを堀切で遮断し、土塁を設けた単郭式構造です。堀切には「横矢掛り」という防御性を高めるしかけが設けられ、北西側の急斜面は、自然地形をさらに急角度に切り落とす造作を行っています。

極めて簡素な構造をしていますが、自然地形を最大限巧みに活かした築城法は見事です。築城主は不明ですが、戦国時代を通じて経営されている、武蔵七党村山党金子氏の居館との伝承がある島屋敷村落に、仙川を挟んで隣接しており、島屋敷と強い関連があるものと考えられています。築城時期も不明ですが、天文年間(1532~1555年)の扇谷上杉氏と後北条氏との合戦に備えて造られた可能性があります。

この時の戦いでは、深大寺城に陣を張った難波田弾正(扇谷上杉氏家臣)に対して、後北条軍は直接河越城を攻め、深大寺城での戦いはなかったと伝えられています。天神山城での戦いも伝承されていません。その名は、かつてこの山頂付近に天神社が設けられていたことに由来します。
※現地看板より

2025/3最終訪問


城郭周辺地図

東京都三鷹市新川

付近に駐車場なし


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