赤坂峠 古戦場
慶応4年(明治元年)、大政奉還をめぐる新政府軍と同盟軍が戦った北越戊辰戦争の下田郷における最大の激戦地跡である。5月、長岡城落城により、両軍の戦線は県内各地に広がった。そのうち村松藩を主力とする同盟軍5百は、長岡・見附か… 続きを読む »赤坂峠 古戦場
慶応4年(明治元年)、大政奉還をめぐる新政府軍と同盟軍が戦った北越戊辰戦争の下田郷における最大の激戦地跡である。5月、長岡城落城により、両軍の戦線は県内各地に広がった。そのうち村松藩を主力とする同盟軍5百は、長岡・見附か… 続きを読む »赤坂峠 古戦場
川中島合戦は今から400年前、天文22年より永禄4年に至る13年の永きに亘って行われたが、後世広く伝えられている川中島合戦は永禄4年の戦いを指している。この戦は越後の雄将上杉謙信、甲斐の智将武田信玄がここ川中島に雌雄を決… 続きを読む »川中島古戦場
天正3年(1575)5月21日、武田勝頼は、徳川家康によって奪われた長篠城を奪還するべく、約15000の兵を率いて出陣し、城を包囲しました。対する家康は、織田信長に援軍を依頼し、総勢38000の大軍で武田軍と三河国設楽原… 続きを読む »長篠設楽原 古戦場
上洛を目指した武田信玄は元亀3年(1572)10月3日に2万5000の軍勢を率いて甲府を出発、同年12月22日には浜松城の北側に広がる三方原に進出してきた。徳川家康は家臣の反対押し切って1万1000(徳川軍8000と織田… 続きを読む »三方ヶ原 古戦場