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筑前国 黒崎城 [KUROSAKI-CASTLE]

概要

黒崎城は、福岡県北九州市八幡西区屋敷一丁目の道伯山(どうはくやま/城山)山頂に築かれた近世の平山城である。洞海湾南岸に位置し、東方には豊前方面を一望できる立地で、長崎街道と豊前国境を押さえる要衝として機能した。関ヶ原合戦後に筑前へ入封した黒田長政が、福岡城を本城としつつ国境防備のために築いた「筑前六端城(黒田六端城)」の一つであり、黒田家重臣・井上之房(いのうえ ゆきふさ)が二万石で城主となった。元和元年(一六一五)の一国一城令で廃城となったのち、石垣石材は新田開作の護岸に転用されるなど改変を受けたが、発掘調査により複数の石垣や曲輪跡が確認され、江戸初期の国境防備を物語る重要な史跡として評価されている。

城郭詳細データ

項目内容
ヨミカナクロサキジョウ
別名道伯山城
所在地福岡県北九州市八幡西区屋敷一丁目
100名城スタンプ
城郭構造連郭式平山城
天守構造なしなし
築城者黒田長政
主な城主井上氏
築城年1604
廃城年1615
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
再建建造物なし
指定文化財県指定
遺構石垣、空堀、曲輪
現状城山緑地公園
駐車場黒崎城跡駐車場
最寄り駅JR 黒崎駅


城犬のおいど 攻城記録


駐車場



黒崎城址案内板


城跡碑


黒崎城は、慶長9年(1604年)、筑前福岡藩初代藩主・黒田長政の命により、隣国である豊前との国境沿いに築いた6つの城(筑前6端城)の一つとして築城されました。城主は井上周防之房でしたが、元和元年(1615年)に一国一城令により破城されました。

関ヶ原の合戦直後の不安定な政治情勢を物語る代表的な遺跡で、近年の発掘調査により城の規模や構造がわかり、その重要性が再認識されたことから平成29年3月17日に福岡県文化財に指定されました。県文化財指定を記念し、この石柱が市民太陽光発電所の売電収入を活用して設置されました。
※現地石碑より

黒崎城跡


城山またの名を道伯山というこの山に、かつて福岡城の端城の一つ黒崎城があった。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの功により52万石の大名として筑前国に入部した黒田長政は翌6年から福岡城の築造にとりかかった。

また同時に国境の守りを固めるため同15年までの間に、この黒崎城をはじめ若松城(中島城)、大隈城、鷹取城、小石原城、左右良城の六端城を築いた。そして黒崎城には黒田24騎の1人、井上周防之房を城主として任じた。しかし元和元年(1615)幕府の一国一城令により、わずか10数年で城は破却されてしまった。のちの元文3年(1738)この城の石垣は新田開作(現在の黒崎駅付近)のための護岸に使用された。

今では山頂に石垣がわずかに残るのみである。なお、この山に初めてとりでを築いたのは、天慶2年(939)、ときの朝廷にそむいて瀬戸内海に兵を起こし敗れた藤原純友との伝承もあるが定かではない。
※現地看板より

城址碑


石垣


2026/3最終訪問


城郭周辺地図

福岡県北九州市八幡西区屋敷一丁目

黒崎城跡駐車場


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