武蔵 藤橋城
おいど攻城記録 藤橋城跡 現存する遺構は、東西70メートル×南北60メートルの曲輪と付属する腰曲輪、土塁、空堀等であり旧態をとどめている。『武蔵名勝図会』(文政3年・1820)に、次のように記されている。「平山越前守虎吉… 続きを読む »武蔵 藤橋城
おいど攻城記録 藤橋城跡 現存する遺構は、東西70メートル×南北60メートルの曲輪と付属する腰曲輪、土塁、空堀等であり旧態をとどめている。『武蔵名勝図会』(文政3年・1820)に、次のように記されている。「平山越前守虎吉… 続きを読む »武蔵 藤橋城
概要・現地案内板 小田野城趾は、江戸時代に著された「武蔵名勝図会」に北条氏照の家臣小田野源太左衛門の屋敷跡という伝承が簡単に紹介されている程度で、注目されていませんでした。 昭和54年から55年にかけて、都道建設に伴… 続きを読む »武蔵 小田野城
概要・現地案内板 勝沼城の築城年代や築城者の名前は不明である。平将門の末裔と称し多摩川上流地域を領していた三田氏の居城であったが、永禄6年(1563)滝山城の北条氏照によって滅ぼされた。勝沼城にはその後北条氏照の家臣師岡… 続きを読む »武蔵 勝沼城
概要・現地案内板 今井氏代々の居館と伝えるこの今井城跡は、面積およそ8500㎡の、二郭からなる単純な連郭式の城跡である。東半分は西北両側に深い空堀と三方を土塁に囲まれた曲輪であるが、西半分は土塁のない曲輪である。昭和42… 続きを読む »武蔵 今井城
概要・現地案内板 喜多見藩は、武蔵国多摩郡(現・世田谷区喜多見)を治めた藩である。五代将軍・徳川綱吉の寵愛を受けた喜多見重政は旗本から大名に昇格すると、喜多見藩の立藩と築城を許され、喜多見陣屋(喜多見城)を創建。その諸費… 続きを読む »武蔵 喜多見陣屋
概要・現地案内板 石神井城は、中世武士の豊島氏の城です。豊島氏は、葛西、江戸両氏とともに、秩父源平氏で、鎌倉時代の末には、石神井郷を領有していました。室町時代に、城主の豊島奉経は、武蔵守護の上杉顕定にそむいた長尾景春に味… 続きを読む »武蔵 石神井城
概要・現地案内板 初沢城は標高294メートル、比高差110メートルに位置する山城です。 山頂部と北西から南東にかけて走る稜線上に築かれた主郭部と、そこから北東へ張り出す支尾根の左右に堀切の跡が確認されています。 初沢城の… 続きを読む »武蔵 初沢城
概要・現地案内板 烏山城は、天文6年に扇谷上杉方の深大寺城に対する備えとして小田原北条氏によって泉沢寺跡地に築かれた砦である。泉沢寺は、当初文明16年(1484)梅沢寺殿吉良頼高の菩提所として延徳3年(1491)に建立さ… 続きを読む »武蔵 烏山城
概要・現地案内板 戦国時代には北条氏家臣の梶原助五郎が馬込村一帯を領していたが、現在遺構などは確認されておらず、馬込城について不明である。東端は北の神社、南は臼田坂下、西は湯殿神社、北は大田区立馬込図書館が城域とみられ、… 続きを読む »武蔵 馬込城
概要・現地案内板 「荒藺ヶ崎」として万葉集にも詠まれたという新井宿城。戦国時代には、北条氏の家臣である梶原日向守の城であったと伝わる。神社のある丘が城址で、南西に突き出た舌状台地が城の面影として残る以外は、遺構らしきもの… 続きを読む »武蔵 新井宿城