大磯宿 おおいそ(神奈川県中郡大磯町)
大磯宿(おおいそじゅく)は、東海道五十三次の8番目の宿場である。
大磯宿は、現在の神奈川県中郡大磯町で、最寄り駅は東海道本線 大磯駅となる。
旅籠軒数は66軒あり、本陣3軒、脇本陣6軒あったとされている。前の宿場町である平塚宿からの距離は約2.9km、次の宿場町である小田原宿までは約15.7kmとなる。



東海道五十三次大磯宿
本図は、初代歌川広重が天保4年(1883)頃に製作した浮世絵『東海道五拾三次之内大磯虎ヶ雨』である。空は鼠色に曇って秋雨が降る中、大磯宿堺の傍示杭が建つ入口近くを合羽を被って馬で行く旅人や野良仕事帰りの人、傘を差した町人など、街道も濡れてなにか寂しげである。

画面左の稲作を杭掛けして干している田んぼの先は海岸と磯の松、その向こうに広がる相模灘。水平線近くの沖合いが白く明るく見えるのも、海岸で良く見る風景である。 大磯の海岸は、万葉集に詠われた「よろぎの浜」、古今集でも「こゆるぎの磯」とも呼ばれる枕歌の景勝地である。また、この辺りは鴫立沢とも呼ばれ、西行法師の歌「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」は「三夕の和歌」の1つとして有名である。

また、大磯は歌舞伎で正月の吉例狂言といわれる、曽我十郎と大磯の郭の遊女・虎(虎御前)が仇討のため二人が別れ、仇討の果てに陰暦5月28日、曽我十郎が命を落とした悲恋物語の曽我之狂言でよく知られ、虎御前の流した涙が雨になったという故事から梅雨時のしとしと降る雨は「虎ヶ雨」とも呼ばれている。このお話の真偽は不明であるが、この土地に由縁する伝説の情趣である。画題横に「虎ヶ雨」とあるように、そぼ降る雨を涙雨に見立てている。
※現地看板より

大磯八景碑「化粧坂の雨夜」
大磯八景は、明治40年頃、大磯町第五代町長・宮代謙吉が大磯の名所八景を選んで絵葉書を出版したのが始まりである。その後、大正12年に大磯小学校第二代校長・朝倉敬之が自作の歌を刻んだ記念碑をそれぞれ八景の位置に建立した。現在は、「小淘綾の晴嵐」を除く「高麗寺の晩鐘」、「花水橋の夕照」、「唐ケ原の落雁」、「化粧坂の夜雨」、「鴫立沢の秋月」、「照ヶ崎の帰帆」、「富士山の暮雪」の七基が残っている。
※現地看板より

化粧坂の一里塚
旅人の旅程の目安となり江戸日本橋より16里の所に日陰で風よけなどで小休息の場となる。高さ約3m、塚上の海側に榎を山側にせんだんを植えた。
※現地看板より

化粧井戸
「化粧」については、高来神社との関係も考えられるが、伝説によると鎌倉時代の大磯の中心は化粧坂の付近にあった。当時の大磯の代表的女性「虎御前」もこの近くに住み朝な夕なこの井戸水を汲んで化粧をしたのでこの名がついたといわれている。
※現地看板より

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