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肥前国 陣の森城 [JIN NO MORI-CASTLE]

概要

陣の森城は、佐賀県小城市芦刈町芦溝に所在した中世の平城である。佐賀平野のほぼ中央部、田園地帯の中に築かれた館城で、九州千葉氏の一族である徳島氏(とくしまし)の居城と伝えられる。1979年の発掘調査では、鎌倉時代から16世紀にかけての遺物が多数出土し、この地が長期にわたり在地領主の拠点として機能していたことが明らかになった。現在は圃場整備により遺構は消滅しているが、「陣の森城・小路遺跡」と記された説明板と、近くの徳島氏菩提寺・福田寺が、戦国期の激動を生きた一族の記憶を静かに伝えている。

城郭詳細データ

項目内容
ヨミカナジンノモリジョウ
別名芦刈城、徳島館、徳島城、小路館
所在地佐賀県小城市芦刈町芦溝
100名城スタンプ
城郭構造-平城
天守構造なしなし
築城者徳島氏
主な城主徳島氏
築城年鎌倉時代
廃城年不明
城址碑なし
案内板あり
現存建造物なし
再建建造物なし
指定文化財未指定
遺構なし
現状宅地、田畑
駐車場付近に駐車場なし
最寄り駅JR 牛津駅


城犬のおいど 攻城記録


陣の森城跡・小路遺跡


肥前千葉氏の一族である徳島氏は、永正年間(1504年~1520年)に芦刈町の浜中と小路(陣の森、蝮森、珍の山とも呼ばれた)に館を築き、千葉氏に次いで龍造寺氏・鍋島氏に仕えた。

一族の中でも徳島孫八郎盛秀は智勇に優れ、永禄5年(1562年)に西肥前の有馬氏と大村氏が佐賀に攻め込んできたとき(丹坂峠の合戦)、盛秀は龍造寺軍の先鋒として柳鶴(現・小城市牛津町)で奮戦した。また、元亀元年(1570年)に豊後の大友氏が佐賀に攻め込んできたとき、盛秀は当時龍造寺氏の家臣であった鍋島直茂に従って大友軍の陣が或る今山(現・佐賀市大和町)に奇襲をかけ(今山の合戦)、大友軍を打ち破った。

その後鍋島氏が佐賀藩主となり、その初代藩主勝茂の子元茂が小城藩を創設すると、徳島一族は元茂の家臣となり、やがて小城に移り住むようになった。これまで陣の森城跡・小路遺跡では、昭和49年(1974年)に実施された付近の水田の地質調査で、天正年間(1573年~1592年)前後のものと推定される五輪塔や宝篋印塔が発見されました。

また、昭和54年(1979年)には、圃場整備事業に伴い発掘調査がおこなわれ、13世紀の集落跡と16世紀の館跡が発掘された。遺物は、食器類の土師器・陶磁器や金属製品、石製品、獣骨、銅銭などが出土した。鎌倉時代に一度廃絶した集落に、改めて戦国時代に館が営まれたと推定される。

特に、中国や朝鮮の陶磁器が多量に出土しており、そのなかの元・明、高麗・李氏朝鮮時代の陶磁器類18点が、佐賀県立九州陶磁文化館(有田町)に寄託展示されている。
※現地説明板より

徳島家・神代家の菩提寺  福田寺


福田寺は、禅宗の一派、曹洞宗の寺院です。戦国時代に鴨打氏と共に芦刈を治めた徳島盛秀を庵主として妻・阿福(龍造寺隆信の叔母)の、先祖の供養のため筑前南林寺の松岩英祝大和尚を請待して、永禄2年(1559)に福田寺を開山しました。

本寺は徳島氏に次いで、領主となった神代家良の菩提寺でもあり、寺内には徳島家や神代家代々の墓塔が祀られています。徳島氏は千葉胤鎮の系統で、戦国時代まで芦刈地域を治め、後に小城城下に移り住みました。神代氏は、戦国時代三瀬一帯に勢力を持ち、江戸時代は、現在の佐賀市川久保、芦刈に領地を持っていました。

なお、江藤新平の母方の浦氏や、従兄弟で共に国事に奔走した江原喜右衛門の菩提寺であります。本堂に掲げられた「鶴鹿山」と「福田禅寺」の木額は中林梧竹の揮毫によるものです。
※現地説明板より

2026/2最終訪問


城郭周辺地図

佐賀県小城市芦刈町芦溝

付近に駐車場なし


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