城郭DATA -CASTLE DATA-
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | ソタニジョウ |
| 別称 | 曽谷殿屋敷、曽谷殿館 |
| スタンプ設置場所 | - |
| 曲輪配置 | - |
| 城郭種類 | 平山城 |
| 築城者 | 曽谷氏 |
| 築城年 | 鎌倉時代 |
| 廃城年 | 1336年 |
| 主な城主 | 曽谷氏 |
| 指定史跡 | 未指定 |
| 標高 | 22.9 m |
| 城址碑 | なし |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | なし |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 宅地 |
| 駐車場 | 付近に駐車場なし |
| 最寄り駅 | JR 市川大野駅 |

概要・現地案内板
昔、この辺り一帯は「曽谷殿屋敷」または「曽谷殿館」と呼ばれ、曽谷一族の居城のあった所です。
現在では台地が崩され、わずかに石井氏宅の裏庭に、土塁と空堀の一部が残されているだけで、曽谷城の全容を知ることはできません。
曽谷城主については、曽谷重胤が千葉介胤鎮から、曽谷村の近在3000町を与えられ、城主になったのがはじまりと伝えています。この重胤の孫に当るのが曽谷教信で、かれは日蓮聖人に帰依して、法蓮日礼の法号を給わり、建立したのが長谷山安国寺です。
その後、一族の末裔である曽谷胤貞は、足利尊氏とともに九州に向い、多々良浜の合戦で武功をあげましたが、下総へ帰る途中、即ち建武3年(1336)三河国(愛知県)高橋の合戦で討ち死にしたため、曽谷城もこの時に落城し、曽谷一族はのち、康正2年(1456)に至って滅亡したと伝えています。
この城中に「烏石」のあったことが、鈴木金堤の著「手ぐりふれ」に、次のように書かれています。
「曽谷村は千葉介の一族曽谷殿の館跡也しとぞ、館跡に曽谷殿の愛石なりとて、青き石の紋に黒く烏の形あざやかにあらはれて、烏石と云伝へしを、烏石を乞もとめひたすら愛し、後に東海道鈴の森の鎮守の社地に安じたるよし・・・」
現在、東京都大田区にある盤井神社にこの烏石が残されています。
烏石は江戸で名うての書家、松下雨石のことで、この烏石を見て以来、雨石の号を烏石と改めたといいます。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
公園入口(曽谷城址)
この奥が公園になっており、曽谷城跡の説明板も設置されている。

2025/9最終訪問
城郭周辺地図
付近に駐車場なし
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