概要
遠賀川河口西岸の城山に築かれた平山城。平安末期の山鹿秀遠の居城として知られ、壇ノ浦の戦いでは平家方の拠点となった。戦国期には麻生氏の居城となり、大友氏や毛利氏の争奪戦が展開された。現在は公園となり遺構は僅か。
城郭詳細データ
| ヨミカナ | やまがじょう |
|---|---|
| 別名 | 城山城 |
| 所在地 | 福岡県遠賀郡芦屋町山鹿 |
| 100名城スタンプ | - |
| 城郭構造 | 連郭式平山城 |
| 天守構造 | 不明不明 |
| 築城者 | 山鹿秀遠 |
| 主な城主 | 山鹿氏・麻生氏 |
| 築城年 | 1150年頃 |
| 廃城年 | 1587年 |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | なし |
| 現存建造物 | なし |
| 再建建造物 | なし |
| 指定文化財 | 未指定 |
| 遺構 | 曲輪、石垣、土塁、空堀 |
| 現状 | 公園 |
| 駐車場 | 城山公園駐車場(無料) |
| 最寄り駅 | JR 折尾駅 |

城犬のおいど 攻城記録
城山公園


秋山光清歌碑


白山神社




腰曲輪


主郭





二の丸

城址碑
山鹿城は朱雀天皇の天慶年間鎮西奉行藤原の俵藤太秀郷の弟藤次によって築城され、以後代々山鹿氏の居城となり、年を経ること二百四十年山鹿兵藤次秀遠が城主となった。寿永二年七月(西暦一一八三年)源氏に追われた平宗盛は、幼帝安徳天皇を奉じて西国に落ち、さらに同年九月に太宰府を逃れる。

此の時城主秀遠は一身の盛衰を顧りみず尊王の大義を体して安徳天皇を迎え、この城にこもり一意専心天皇の為に忠勤を励んだ。元暦元年(西暦一一八四年)秀遠は平氏と共に屋島に出陣し忠烈むなしく戦に破れ、壇之浦において山鹿氏は滅亡するに至ったのである。山鹿氏滅亡の後は代々麻生氏の居城となった。秀遠●安徳●到●州八島●當内裏此時九州四国群将●背平氏唯秀遠霊力戦平所所 山鹿素行筆「山鹿家諸」に
※現地城址碑より
一部読み取れない箇所あり








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