概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・堀切あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
大出城は、福岡県筑紫野市大字山口周辺の山塊・支尾根頂部に位置する戦国時代の山城跡である。天拝湖(山口調整池)西岸の山口川流域を見下ろす要衝に占地する。近接する小出城(物見砦的施設)と一対をなし、小出城に対してより規模の大きな主郭・帯曲輪群を備えることから「大出」と称されたとされる。山頂の主郭平坦面を中心に、尾根筋を遮断する堀切や斜面を削り落とした切岸、土塁状の高まりなどの土木遺構が山林内に良好に残存している。近隣の博多見城や天判山城(天拝山城)と尾根・谷筋を通じて連動し、山口谷の防衛および間道監視を担う複郭防衛ネットワークの一翼を形成していた。筑紫野市および福岡県の中世城館関連調査・埋蔵文化財包蔵地分布資料に記録されている。
歴史的役割
戦国時代に筑前南部から肥前東部(現・佐賀県基山町・鳥栖市)にかけて一帯を支配した有力国人領主・筑紫氏の防衛ラインを構成する支城・出城として機能した。山口地区は筑前平野部から平等寺峠を経て筑紫氏の本拠・勝尾城へ抜ける戦略的要路であり、北方の大友勢力や秋月勢力に対する防衛上の要地であった。博多見城や天判山城の南西側後背部を抑えつつ、小出城とともに主要谷筋への敵軍侵入を警戒・迎撃する任務を担った。天正14年(1586年)7月の島津軍による筑前大侵攻(勝尾城・岩屋城の戦い)において戦乱の渦中に置かれ、同年の九州平定および筑紫氏の筑後国山下城への転封に伴って役目を終え、廃城となったと推測される。
見どころ
山頂主郭を取り巻く明瞭な切岸地形、尾根筋を断ち切る遮断堀切および空堀遺構、主郭縁辺部に遺存する土塁痕跡、小出城や博多見城と連動する中世山岳砦網の地勢配置、天拝湖西側の山林内に広がる要害地形
ご当地グルメ
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遠景


石積








松下盤根の記念碑
明治時代、24歳で小学校長となり、後に農業教育に情熱を捧げた人物。

大師堂




石垣





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