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三河国 新城城 [ SHINSHIRO CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナシンシロジョウ
別称なし
スタンプ設置場所
曲輪配置梯郭式
城郭種類平城
築城者奥平信昌
築城年1576年
廃城年1869年
主な城主奥平氏、水野氏、菅沼氏
指定史跡市指定
標高52.3 m
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構あり
現状新城市立新城小学校
駐車場新城市役所第2駐車場
最寄り駅JR 新城駅


概要・現地案内板

新城城は、長篠の戦いで戦功のあった奥平信昌によって天正4年(1576)に建てられました。
この城は、「しんしろ」という市名の由来になったとされる城跡です。
ここが「新城城(しんしろじょう)」と名付けられたのは、長篠城に対しての新城(しんじょう)であったが、すでに天文元年(1532)に菅沼定継という殿様が石田の崖上(幽玄川河口)に築いた城が「新城(しんじょう)」と呼ばれており、それと区別するために「新城城」となったとも言われています。
この城の中心地(本丸)は、堀と土塁(土を盛って造られた防御のための施設)で囲まれていた部分、現在の新城小学校の運動場の一帯があたります。現在、その堀と土塁の一部が残っています。
初代城主であった奥平信昌は、天正18年(1590)に徳川家康が関東に移り住むようになると、あわせ上野国宮崎(現 群馬県富岡市)に移住しました。
その後、何人かの城主の交代を経て、天保2年(1645)に新城城は廃城となりました。
しかし、慶安元年(1648)に旗本の菅沼定実(野田城主の菅沼定盈が祖父にあたり、桜渕公園に桜の木を植え始めた人物)が陣屋をこの地に構えて以来、明治2年(1869)の廃藩置県までこの地を生活の場としていました。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


大手門通り


有教館跡


新城陣屋には、旗本・菅沼氏が設立した藩校が置かれていた。開校時期は享保十三年(1728)とされ、その藩校は安永九年(1780)に領主の菅沼定前によって「有教館」と名付けられたことが知られている。江戸時代後期から明治初年頃に作成された「新城家中家来屋敷割之図」によると、
 
 

その場所は現在の本庁舎南東の位置に相当し稽古場が描かれている。十歳から二十歳の家臣の子ども達に入校が許され一般の人々は入れなかった。ここは、主に漢字を教授する文学部と弓、馬、剣などの武術を学ぶ武芸部で構成され、文武両道の学び舎であった。有教館は明治二年に閉鎖となり、その後は旧家臣の皆川家が居住管理した。現在、有教館の名は「新城有教館高等学校」に受け継がれている。
※現地説明板より


新城市立新城小学校


城址碑


しろあと資料館


太田白雪とその頃の新城町


2025/5最終訪問


城郭周辺地図

愛知県新城市字東入船

新城市役所第2駐車場のGoogleMAP


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