吉田宿 よみがな(住所)
吉田宿(よしだじゅく)は、東海道五十三次の34番目の宿場である。
吉田宿は、現在の愛知県豊橋市で、最寄り駅は豊橋鉄道東田本線 札木停留場となる。
軒数は65軒あり、本陣2軒、脇陣1軒あったとされている。前の宿場町である二川宿からの距離は約6.1km、次の宿場町である御油宿までは約10.5kmとなる。


「べっぴん」語源発祥の店
明治初期に田原藩家老渡邊崋山の息子、渡辺小華の発案により「すこぶる別品」の看板を掲げ鰻を売り出した所、大好評を得その言葉が全国に広がってゆき極上品はすべて「べっぴん」と呼ぶようになって、そのあとの明治中期には美しい女性(美人)にも使われるようになりました。丸よはその伝統の「べっぴん」の鰻を今も焼き続けております。
※現地看板より

鰻料理店 丸よ
吉田宿本陣跡
吉田宿の本陣は、宿場の中央部にあたり、東海道筋で最もにぎわった札木町に設けられました。天保14年(1843)の記録によれば、清須屋与右衛門家と、江戸屋新右衛門家の本陣二軒が並び、街道の南側には脇本陣の枡屋庄七郎家もありました。
※現地標柱より

吉田宿本陣跡碑
ここは江戸時代、清須屋東隣に江戸屋の二軒の本陣がありました。本陣とは各宿駅に置かれ、街道を往来する大名・幕府役人・宮家・公卿など身分の高かった人達が宿泊したところです。享和2年(1802年)の書上によると東海道吉田宿には、本陣2軒・脇本陣1軒・旅篭65軒があり、ここ札木町あたりは宿の中心部として最もにぎわったところでした。
※現地説明板より


西惣門
吉田宿西惣門は、江戸時代東海道筋の坂下町と上伝馬の間にありました。惣門の左側に番所があり、12畳の上番所、8畳の下番所、4坪の勝手があり、さらに駒寄せの空き地17坪がありました。

西惣門は、湖西市鷲津の本興寺の惣門を参考にして作成しました。本興寺の惣門は、吉田城大手門を1674年に移築されたもので、湖西市指定文化財になっています。

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