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筑前国 岩屋城 [Iwaya Castle]

概要

岩屋城は、宝満山の支峰である海抜約180mの岩屋山頂に築かれた山城である。大宰府防衛の要衝として、また筑前国の重要拠点として機能した。特に天正14年(1586年)の豊臣秀吉による九州征伐の際、島津氏の猛攻に対し、高橋紹運が僅かな兵で徹底抗戦し玉砕した「岩屋城の戦い」で知られる。この戦いは、豊臣軍の九州侵攻を容易にし、立花宗茂の救援に繋がったと評される。現在は城跡公園として整備され、高橋紹運の墓や慰霊碑が立つ。

城郭詳細データ

項目内容
ヨミカナイワヤジョウ
別名不明
所在地福岡県太宰府市観世音寺6丁目
100名城スタンプ
城郭構造階郭式山城
天守構造なしなし
築城者高橋氏
主な城主高橋紹運
築城年不明
廃城年天正14年(1586年)
城址碑あり
案内板あり
現存建造物なし
再建建造物なし
指定文化財なし
遺構曲輪・土塁・空堀(堀切・竪堀)・井戸跡
現状城跡公園
駐車場なし
最寄り駅西鉄太宰府線 太宰府駅から徒歩約30分


城犬のおいど 攻城記録


岩屋城跡(本丸跡)


岩屋城は16世紀半ば(戦国時代)宝満城の支城として豊後大友氏の武将高橋鑑種によって築かれた。同12年彼は主家大友宗麟に叛き城を追われ、代わって吉弘鎮理(後の名称高橋紹運)が城主となった。

紹運は天正14年(1586)九州制覇を目指す島津5万の大軍を迎え撃ち、激戦十余日、秀吉の援軍到着を待たず玉砕し落城した。
※現地看板より

九州

本丸


城址碑


岩屋城跡


この場所は、岩屋山(標高281m)と称し、戦国時代には岩屋城の本丸(甲の丸)であったと伝えられている。林道で分断された南側下方には二の丸跡があり、1586年の岩屋城の合戦で討死した城主の高橋紹運の胴塚がある。また、この主郭の周囲から山麓にかけての広範囲に、曲輪(平坦面)、竪堀、堀切も残されている。

また、本丸跡にある「嗚呼壮烈岩屋城址」の碑は、昭和30年に高橋紹運の家臣の子孫によって建てられたものである。
※現地案内板より

筑前国分寺跡


741年全国に造られた国分寺のひとつ。巨大な塔心礎が残る塔跡や講堂の基壇が整備され、近くの文化ふれあい館には七重塔の復元模型がある。
※現地案内板より

岩屋山


腰曲輪


高橋紹運公並びに勇士の墓


戦国の武将高橋紹運は23歳で岩屋城主となり名称の誉れ高かった。天正14年(1586)北上した島津5万の軍と戦い、城兵763名と共に玉砕した。時に、39歳であった。紹運以下勇士たちここ二の丸趾に眠る。
※現地看板より

高橋紹運公墓へ


二の丸


墓所


当所は、高橋紹運公ならびに、家来衆の墓所であり、私有地であります。したがって墓参以外での立ち入りを禁じます。又、供物は参拝者が責任をもってお持ち帰り下さいますようお願い致します。
※現地看板より

岩屋城戦列者之碑


高橋紹運公碑銘


段曲輪


堀切


2026/3最終訪問


城郭周辺地図

福岡県太宰府市観世音寺6丁目

なし


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