城郭DATA -CASTLE DATA-
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | コウノダイジョウ |
| 別称 | 市川城、市河城、鴻之台城 |
| スタンプ設置場所 | - |
| 曲輪配置 | 連郭式 |
| 城郭種類 | 平山城 |
| 築城者 | 太田資忠 |
| 築城年 | 1479年 |
| 廃城年 | 1590年 |
| 主な城主 | 千葉氏、里見氏、北条氏 |
| 指定史跡 | 未指定 |
| 標高 | 17.5 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | なし |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 宅地・里見公園 |
| 駐車場 | 里見公園駐車場 |
| 最寄り駅 | 北総鉄道 矢切駅 |

概要・現地案内板
「鎌倉大草紙」によれば、文明10年(1478)に扇谷上杉氏の家宰太田道灌が「下総国国府台」に陣取り、仮の陣城をかまえたとあり、これが国府台城のはじまりであるとする説がある。
道灌は武蔵にいた千葉自胤を助け、敵対する千葉孝胤と戦うためにここに陣取り、境根原(柏市)に出陣し、孝胤を破っている。
これより以前の康正2年(1456)、千葉自胤は兄の実胤とともに「市川城」に立てこもり足利茂氏に抵抗していたが、簗田出羽守らにより城を落とされ、武蔵石浜(台東区)に逃れていた。
この「市川城」と太田道灌の仮の陣城との関係が注目されるが、同じものなのかは不明である。
国府台は標高20~25mの下総台地の西のはしで、江戸川に平行して南へ張り出した大きな舌状の丘陵であり、現在の里見公園の中に土塁状の城郭遺構が現存している。
そして北に向かっても城郭の遺構らしきものが確認される。
公園内の遺構は破壊が激しく築城の時期の想定することは難しいが、太田道灌の時代より後の時代に属する、とする推測もある。
この地は、その後天文と永禄の二度にわたり、小田原の戦国大名北条氏と安房の里見氏らにより行われた合戦、いわゆる国府台合戦の舞台となっている。
天分7年(1538)の合戦は、北条氏綱と小弓公方足利義明・里見義堯らが戦ったもので、小弓(千葉市)に拠を定めた義明と北条が担ぐ本家筋の古河公方家との戦いである。
これに対して永禄7年(1564)の戦いは、着々と東国に覇権を確立せんとしていた北条氏康と、これに対抗する里見義堯・義弘らの戦いであった(前年の永禄6年にも合戦があったとする説もある)。
永禄の合戦の結果、北条軍は圧勝し、里見方は盟友である正木氏の一族など多くの戦死者を出し安房に敗走する。
現在の国府台城跡は、この合戦のなかで激突する両軍の争奪の場となり、戦後、北条氏の手により規模が拡大強化され、初期のものから戦国期の城郭に進化した、とする説もある。
現在の公園には、江戸時代になって作られた里見軍の慰霊のための供養塔がたてられている。
この地はその後、里見八景園という遊園地の敷地となり、その後は陸軍軍用地となり、終戦を迎えている。
※現地説明板より
城犬のおいど 攻城記録
駐車場

里見公園近道


お花見ひろば


市川市最高標高地点


物見台跡







丸山遺跡




羅漢の井
「羅漢の井 この絵は天保5年(1834)に完成した江戸名所図会に描かれたものです。絵は、浮世絵師長谷川雪旦、雪堤 父子が描いた実に詳細を極めたもので、当時の情景を知る上で、実に貴重な資料となっています。市川市域に関するものは、この羅漢の井をはじめ、15図に及んでいます。」

国府台城跡

城址碑


2025/9最終訪問
城郭周辺地図
[ HOME ] [ 城郭データーベース ] [ 千葉県の城郭一覧 ]




