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肥前国 宝泉寺館 [HOUSENJI RESIDENCE]

概要

佐賀県小城市芦刈町芦溝に「宝泉寺館(宝泉寺屋形)」と呼ばれる城館が存在した可能性が指摘されるが、自治体公式サイトや主要な城郭データベースにおいて、明確に「宝泉寺館」として独立した項目・解説を確認することはできない。芦刈町芦溝一帯には、徳島氏ゆかりの陣の森城・徳島城(浜中城)、神代氏芦刈館など複数の中世城館が重層しており、「宝泉寺」という寺院名に結びつけて館跡を呼称した、きわめてローカルな呼び名である可能性が高い。そのため、本稿では「宝泉寺館」を、芦刈町芦溝における中世〜近世初頭の館跡の一候補名として扱い、確実に確認できる範囲のみを記載する。

城郭詳細データ

項目内容
ヨミカナホウセンジヤカタ
別名なし
所在地佐賀県小城市芦刈町芦溝
100名城スタンプ
城郭構造-平城
天守構造なしなし
築城者不明
主な城主不明
築城年不明
廃城年不明
城址碑なし
案内板あり
現存建造物なし
再建建造物なし
指定文化財未指定
遺構なし
現状宝泉寺、宅地、田畑
駐車場付近に駐車場なし
最寄り駅JR 牛津駅


城犬のおいど 攻城記録


宝泉寺


鴨打氏の「お館跡」


鴨打氏は徳島氏とともに芦刈を治めた在地領主であった。松浦党に属し東松浦郡を根拠地としていたが、16世紀前半頃、鴨打秀の孫にあたる胤忠は戦国武将龍造寺隆信に仕え、元亀元年(1570)の今山の戦い等で多くの戦功をあげている。江戸時代になり鍋島元茂を初代とする小城藩が置かれると、

鴨打一族は小城鍋島家の家臣として小城に転居した。ここ宝泉寺一帯は鴨打氏の館跡と伝わり、境内西側には昭和50年代の圃場整備の際に、西濠の外側より移設された「かもちさんのハカ」と呼ばれる戦国期~江戸時代初期の石塔群が合祀されている。南方の乙宮神社は天文5年(1536)に鴨打氏が勧請したと伝わり、その一帯も鴨打氏に関連する居館跡と考えられている。※現地案内板より

水堀跡


2026/2最終訪問


城郭周辺地図

佐賀県小城市芦刈町芦溝

付近に駐車場なし


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