概要スペック
基本情報
| 天守平面構造 | なし | 天守形式 | なし |
|---|---|---|---|
| 現存御殿 | なし | 再建御殿 | なし |
| 現存櫓 | なし | 再建櫓 | なし |
| 現存蔵 | なし | 再建蔵 | なし |
| 現存門 | なし | 再建門 | なし |
| 現存土塀 | なし | 再建土塀 | なし |
| 移築御殿 | なし | 移築櫓 | なし |
| 移築蔵 | なし | 移築門 | なし |
| 遺構 | 空堀あり・土塁あり・切岸あり | ||
赤色立体地図・微地形判読
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概要
今福城は、福岡県みやま市高田町今福の今福池西岸に位置する標高約25メートル(比高約20メートル)の独立丘陵上に築かれた中世平山城(丘城)跡である。『福岡県の中世城館跡』等に記載され、山頂主郭部には水天宮が鎮座している。丘陵頂部を削平した南北2つの主郭(1郭・水天宮境内)および南側の2郭からなる連郭式の縄張りを有する。特に2郭周囲には良好な土塁が巡り、大手口にあたる虎口は両側に櫓台状の高まりを配した求心的な構造を見せる。周囲の低湿地や東側の今福池を天然の防御水濠として活用した中世在地要害の面影を色濃く残している。
歴史的役割
鎌倉幕府草創期の正治元年(1199年)、三池南郷の地頭職を得て下向した中原氏・安芸木工助定時(三池氏の祖)によって築城されたと伝わる。翌正治2年(1200年)に三池氏が本拠として大間城を築いて移った後も、三池郡北方の前線拠点・支城として維持された。戦国時代の天文19年(1550年)7月、柳川城主・蒲池鑑盛が田尻城主・田尻親種と連合して数千余騎で三池領へ攻め入った際、当城は三池氏家臣・小山浄栄入道が守備していたが大間城とともに猛攻を受けて落城したとされる。以後、蒲池氏や龍造寺氏の支配下を経て廃城となったと推測される。
見どころ
山頂主郭に鎮座する水天宮境内と周囲を囲む鋭利な切岸、2郭周囲に極めて良好に残存する土塁遺構、両脇に櫓台状遺構を備えた虎口(大手口)の求心的な枡形構造、東側に広がる今福池と水田低湿地を天然の水濠に見立てた要害立地、丘陵上からみやま市高田町の田園地帯や三池山方面を見渡す眺望
ご当地グルメ
城犬のおいど 攻城記録
登城口


二の郭


地主さんによるごみを捨てないで下さいという虎ロープが張られていたので、今回は下見のみで引き返すことにしました。
またの機会に・・・。
2026/6最終訪問