城郭DATA -CASTLE DATA- 
項目 | 内容 |
---|---|
ヨミカナ | サクラジョウ |
別称 | 鹿島城 |
スタンプ設置場所 | 佐倉城址公園管理センター 09:00-16:30 国立歴史民俗博物館 09:30-16:30(月曜定休) |
曲輪配置 | 連郭式 |
城郭種類 | 平山城 |
築城者 | 鹿島親幹 |
築城年 | 天文年間 |
廃城年 | 1873年 |
主な城主 | 鹿島氏、千葉氏、土井氏、堀田氏 |
指定史跡 | 市指定 |
標高 | 34.0 m |
城址碑 | あり |
案内板 | あり |
現存建造物 | 薬医門、佐倉藩校門(移築民家) |
復元建造物 | なし |
遺構 | 土塁、空堀 |
現状 | 史跡佐倉城跡 |
駐車場 | 佐倉城址公園(無料) |
最寄り駅 | 京成電鉄 京成佐倉駅 |

概要・現地案内板
佐倉城は、戦国時代中頃の天文年間(1532~1552)に鹿島幹胤が築いたといわれる中世城郭を原型として、江戸時代初期の慶長15年(1610)に佐倉に封ぜられた土井利勝(1573~1644)によって翌慶長16年(1611)から元和3年(1617)頃までの間に築城された平山城です。
徳川家康により、江戸の東を守る要として重要視されました。
北に印幡沼、西と南に川が流れる低地に西向きに突き出した「馬の背」と呼ばれる台地の先端に位置しています。
佐倉城は、こうした地勢を巧みに利用し、水堀、空堀、土塁を築いて守りを固め、東につながる台地上に武家屋敷と町屋、仏閣を配して城下町の守りを固めました。
歴代佐倉城主(佐倉藩主)のうち9人が老中となっています。
これは全国最多で「老中の城」と呼ばれています。
なかでも幕末期の城主堀田正睦(1810~1864)は、財政難に苦しむ佐倉藩の改革に成功するとともに日本を開国に導いた開明的な老中として有名です。
明治維新後より終戦までは陸軍歩兵第2連隊、後歩兵第57連隊(通称 佐倉連隊)が置かれました。
※現地案内板より
城犬のおいど 攻城記録
佐倉城址公園センター
日本100名城スタンプ設置場所

総州佐倉御城府内之図


馬出空濠の跡
城門前に築いて人馬の出入を敵に知られぬようにした土手が馬出しであります。この空濠は、明治初期より連隊造営のため埋めたてられていたもので、昭和46年から2回にわたる発掘調査により、長辺121m・短辺40mのコの字型、深さ5.6mの規模と確認されました。復元にあたっては長辺、短辺はそのままとし深さを約3mとしてあります。
※現地説明板より


佐倉陸軍病院跡
創設は明治7年。佐倉屯営病室・佐倉営所病院・佐倉衛戍病院・佐倉陸軍病院と名称が変遷した。昭和40年代までテラスを配した洋風病棟が残っていました。
※現地看板より

佐倉城の礎石
昭和59年、60年(1984、1985年)国立歴史民俗博物館の研究棟を建設するために、同敷地を発掘調査し、旧陸軍の営所跡を検出した。兵舎跡の基礎には、大量の石が詰めてあったが、主柱の建つ位置には佐倉城の礎石を埋め込んでいた。佐倉城は、江戸時代初期の元和年間(1610年代)に土井利勝がこの地に築いた城である。

明治時代初期(1873年)に同じ場所に陸軍の営所をおく際に、佐倉城の建物は取り壊し、その基礎を兵舎の基礎に転用したのである。
※現地看板より

一の門跡
東面、木造、本瓦葺、二階造り、梁間四間、桁行八間 本丸からみてはじめての門で「一の御門」と呼ばれていた。門内は本丸といい、天守、銅櫓、角櫓、御殿が置かれ、御殿の前庭には金粉をすりこんだ栗石が敷かれていたと伝えられている。
※現地看板より


土塁
佐倉城は石垣のない土づくりの城です。城の防御のための土手を土塁と呼びます。土塁は城を外敵から守るために築かれたもので、土塁を巧みに配置して城の守りとしています。本丸の土塁の上には土塀が存在しました。
※現地看板より

佐倉城の夫婦モッコク

銅櫓跡
木造、銅瓦葺、六間四方、二階造り。この銅櫓は、土井利勝が将軍から拝領し、江戸城吹上庭内より移築したものでもとは三層であって、太田道灌が造ったものといわれている。
※現地看板より

天守跡
佐倉城の天守は、2段の土塁上に片側を掛ける造りでした。本丸側からは4階建て、反対側崖下(搦め手側)からは3階建てに見えました。その造りを石碑で再現しています。天守は、文化10年(1813年)に盗人の行灯が倒れたことによる火災により焼失し、その後再建されませんでした。

天守の模型は、城址公園東端にある佐倉城址公園センターに展示されています。
※現地説明板より



角櫓跡(三階櫓)

台所門跡(不明門)


出丸跡





伝 佐倉城内薬医門
この薬医門は、佐倉城内にあった門だと伝えられています。城内のどの門であったのかは不明です。廃城後、市内の酒造家土井家に移築されました。長くその表門として使用され、昭和37年、旧佐倉藩主堀田家の菩提寺である勘大寺に移築されました。

その後昭和58年、勘大寺より市に寄付され、佐倉城内のこの地に移築されました。
※現地看板より



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千葉県佐倉市城内町
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