城郭DATA -CASTLE DATA-
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | ヌカダジョウ |
| 別称 | 久慈見城 |
| スタンプ設置場所 | ー |
| 曲輪配置 | 連郭式 |
| 城郭種類 | 平山城 |
| 築城者 | 佐竹義直 |
| 築城年 | 建久年間 |
| 廃城年 | 1591年 |
| 主な城主 | 額田氏 |
| 指定史跡 | 市指定 |
| 標高 | 27.5 m |
| 城址碑 | なし |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | なし |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 私有地(額田城跡) |
| 駐車場 | 額田城址駐車場 |
| 最寄り駅 | JR 額田駅 |

概要・現地案内板
額田城は鎌倉時代の建長年間(1249~1256)に佐竹氏5代義重の二男義直がこの額田の地に築城し、その後拡張を続けて戦国時代に現在の規模になったようである。
城域内には四つの郭が構築され、一地方の小領主の城としては規模が大きいものである。
前に大沼を持ち防御に適した平城形式の城である。
城跡は壕・土塁など戦国時代の遺構をよく残している。
額田氏は10代義亮の時、佐竹宗家と対立し、応永30年(1423)佐竹13代義人の家臣小野崎氏が城主となり、江戸氏から養子を迎えるなどして以後7代照通まで続いたが、天正19年(1591)佐竹20代義宣に「照通に異心あり」として攻められ落城した。
照通は陸奥へ逃れ、以後廃城となった(後の額田氏)。
城の歴史は17代約340年続いた。
阿弥陀寺は明徳3年(1392)に小野崎従通により大山(城里町)から城内に移されて額田氏の守護寺となった。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
駐車場

三の丸



二の丸



三の丸から二の丸への土橋は確定ではありません。二の丸の西側半分は一段高くなっており、東側には井戸跡らしき窪地が想定されています。









2025/8最終訪問
城郭周辺地図
[ HOME ] [ 城郭データーベース ] [ 茨城県の城郭一覧 ]




