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常陸国 南酒出城 [ MMINAMISAKAIDE CASTLE ]

城郭DATA -CASTLE DATA-

項目内容
ヨミカナミナミサカイデジョウ
別称なし
スタンプ設置場所
曲輪配置
城郭種類平山城
築城者佐竹義茂
築城年鎌倉時代
廃城年不明
主な城主南酒出氏
指定史跡不明または未指定
標高33.3 m
城址碑なし
案内板あり
現存建造物なし
復元建造物なし
遺構あり
現状私有地
駐車場付近に駐車場なし
最寄り駅JR 南酒出駅


概要・現地案内板

現在残されている南酒出城跡は内宿集落より低く東に偏っており、南酒出氏(佐竹氏分家)の城ではなく、額田城を攻撃するため佐竹氏が設けた付城・向城であったと考えられる。
天正17年(1589)江戸重通は佐竹氏の支援を得て、額田小野崎昭通と戦ったが和睦した。
秀吉の天下統一後の同19年(1591)佐竹氏は額田城を攻撃して落城させ、昭通は伊達氏を頼って落ち延びた。
城は南の谷に沿った台地辺縁部にⅠ郭、Ⅱ郭、Ⅲ郭と東西に90m、南北60mの連郭式城郭の構えで造られている。
Ⅰ郭の北の堀とⅡ郭の西の堀は屈曲し横矢かかりとなっている。
城の北の蒼龍寺周辺もⅤ郭となり、城の北のⅥ郭との間には堀が東西に掘られている。

※現地看板より


城犬のおいど 攻城記録


蒼龍寺


蒼龍寺は、元弘元年(1331年)に建立し、松花山高泰院といった臨済宗であったが、大永2年(1522年)に曹洞宗に改め、佐竹義忠が開基する。その後光圀の命により廃寺となり、水戸城の鬼門に当たる城東から水戸千波に移っていた太湖山蒼龍寺が引き寺されました。境内には那珂市指定の天然記念物のカヤの巨木がそびえています。
※現地看板より

酒出の歴史


佐都西郡酒出郷は平安時代末期には佐竹氏の所領であったが、治承4年(1180)源頼朝が佐竹秀義を討伐した後、奥七郡并太田・額田とともに収公された。秀義はのち文治5年(1189)頼朝の奥州征討に参陣し御家人となり、次男義茂、三男助義はそれぞれ南酒出氏、北酒出氏を名乗った。

承久3年(1221)承久の乱の宇治川の戦いで南酒出氏は戦功を挙げ、その後多くの支族を分立させたが、戦国期後半にいたりその名跡は佐竹一門の東家が受け継いだ。
※現地看板より

南酒出城縄張り図


南酒出城跡入口


Ⅳ郭


おちよ伝説


おちよ伝説は、南酒出城内で縫物奉公していた「おちよさん」が夜遅く縄橋を渡っているとき、門番は知らずに外したことから堀の中に落ちて亡くなってしまいました。村人は桜の木を植え弔いました。

それから何百年も時は流れましたが、キャサリーン台風(1947年)により溜池が決壊した際に寺の飛地あたりから巨木の根っ子が現れ、「おちよ桜」は本当にあった話だと、それを見た人達は思ったそうです。
※現地看板より

Ⅲ郭


Ⅱ郭


南酒出城跡本郭入口


土橋


Ⅰ堀


本郭土塁


本郭


水の手(井戸跡)



2025/8最終訪問


城郭周辺地図

茨城県那珂市南酒出

付近に駐車場なし


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