城郭DATA -CASTLE DATA- 
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | ユウキジョウ |
| 別称 | 臥牛城 |
| スタンプ設置場所 | ー |
| 曲輪配置 | - |
| 城郭種類 | 平山城 |
| 築城者 | 結城朝光 |
| 築城年 | 1183年 |
| 廃城年 | 1868年 |
| 主な城主 | 結城氏、水野氏 |
| 指定史跡 | 市指定 |
| 標高 | 39.1 m |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | あり |
| 復元建造物 | なし |
| 遺構 | あり |
| 現状 | 城跡歴史公園 |
| 駐車場 | 水辺公園駐車場 |
| 最寄り駅 | JR 結城駅 |

概要・現地案内板
結城城は治承年間(1177~1180年)に結城朝光が築いたとされるが確証はない。
むしろ南北朝動乱期に築城されたと見るべきであろう。
その後、結城家は室町時代に関東八家の一に列して勢力をふるい、戦国時代には宇都宮・佐竹氏らと伍して生き残り、天正19年(1591年) 徳川家康の二男秀康を17代晴朝の養子にもらい受け、慶長6年(1601年)越前福井への国替えまで関東の雄として栄えた。
結城氏の転出後、結城城は廃城となったが、元禄13年(1700年)水野勝長(18000石)の入部によって再興され、明治に至るまで水野家の居城となった。
結城の名を不朽にしたのは永享12年(1440年)の結城合戦である。
関東公方足利持氏が将軍義教と争って滅ぶと結城家11代氏朝(1402~1441年)は、持氏の遺児春王丸を奉じて兵を挙げた。
幕府は諸将に氏朝らの討伐を命じたが、結城落城まで1年余の歳月を費やし、結城の名を天下に轟かす結果となったのである。
※現地看板より
城犬のおいど 攻城記録
水辺公園(二の丸)


内堀
結城城は、鬼怒川と田川によって形成された低地に突き出た台地を利用して築かれました。したがって、城の周囲は沼や深田で取り囲まれたうえ、さらににその北側から東側にかけて田川が流れるなど、平城でありながら天然の要害になっていました。

城は、実城・中城・西館・東館と呼ばれた五つの大きな曲輪と、付属的な曲輪から構成されていました。現在、城跡公園があるところが館で、江戸時代に結城水野氏が城を築いたときには、」この部分が本丸でした。また、この館の北側に、現在は残されていませんが、かつて五反ほどの曲輪が存在し、室町時代の結城氏の城では、実城と呼ばれ、主郭であったと考えられます。

また、館の西側の曲輪が西館で、南側の曲輪が中城、さらに中城の南側で、城のいちばん南に位置しているのが東館です。これらの曲輪は、深さ6~7メートル、幅20~25メートルにおよぶもので、台地上で水はでないため、空堀でした。この曲輪と曲輪を結ぶため、内堀には土橋や木橋がかかっていました。現在、城跡公園から南に通じる道路には、館と西館を結ぶ土橋であると考えられます。
※現地看板より

駐車場


聰敏神社

城跡歴史公園

館






実城






水野家顕彰碑


与謝蕪村句碑



みかづき橋

土橋

空堀


中城

堀底


大日堂跡

追手門跡

浄土宗 弘経寺 裏門
結城城大手門を移築したと伝わる。




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