概要
広島城は、太田川河口の三角州上に毛利輝元(もうり てるもと)が築いた典型的な平城である。天正17年(1589)頃から築城が始まり、完成後は中国地方を支配する毛利氏の本拠となり、その後は浅野家12代が居城とした広島藩42万6千石の政庁として機能した。名古屋城・岡山城とともに「日本三大平城」に数えられ、かつては五重天守と多数の櫓が林立する壮大な城郭であったが、1945年8月6日の原爆投下により天守を含む建物群はほぼ全て倒壊した。戦後、本丸一帯は史跡公園として整備され、1958年に天守が外観復元、1989〜1994年には二の丸表御門・櫓群が復元され、現在は歴史博物館として広島の城下町文化を伝えている。
城郭詳細データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ヨミカナ | ヒロシマジョウ |
| 別名 | 鯉城、在間城、当麻城 |
| 所在地 | 広島県広島市中区基町 |
| 100名城スタンプ | 第73 天守閣1階売店 |
| 城郭構造 | 輪郭式平城 |
| 天守構造 | 複合連結式(非現存)、独立式(現在)望楼型5重5階(非現存)、望楼型5重5階(現在) |
| 築城者 | 毛利輝元 |
| 主な城主 | 毛利氏、福島氏、浅野氏 |
| 築城年 | 1589 |
| 廃城年 | 1871 |
| 城址碑 | あり |
| 案内板 | あり |
| 現存建造物 | なし |
| 再建建造物 | 復元大天守、表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓 |
| 指定文化財 | 国指定 |
| 遺構 | 石垣、水堀 |
| 現状 | 史跡広島城址 |
| 駐車場 | 付近のコインパーキング(有料) |
| 最寄り駅 | JR 広島駅 |
城犬のおいど 攻城記録
中央公園案内図


太鼓櫓


表御門
表御門は天正期末(16世紀末)頃の建造と推定され、昭和20年の原爆被爆による焼失までの約350年間存続していました。現在の表御門は、平成元年の広島城築城400年を記念して復元に着手し、平成3年に完成したものです。

この平成の復元では、昭和9年に当時の陸軍第五師団経理部が作成した実測図をもとに、発掘調査の成果や明治期から昭和期にかけての写真を総合的に検討して、焼失後も残存した表御門の礎石(柱下の石)上に、昔どおりの工法によって往時の姿をよみがえらせています。
※現地説明板より

二の丸跡
この石垣と建物に囲まれた二の丸は馬出しの機能を持つ郭で、全国の近世城郭の中では特異な配置であり、広島城の特徴とされています。この郭は、毛利時代(16世紀末)に築造されたもので、外側から内部が見えにくく、本丸からは内部が見える構造としており、防御機能を考慮したことがうかがえます。

郭内には、表御門、太鼓櫓など近世初期の建物が残っていましたが、原爆により倒壊、焼失しました。現在の建物は、築城4百年を契機に、江戸時代の姿に復原整備したものです。
※現地看板より

表御門内部

棟札

堀
現在の広島城の堀は、本丸と二の丸を囲む内堀しか残っていませんが、江戸時代は三の丸を囲む中堀と、さらにその周囲に配された4つの外郭を囲む外堀の3重の堀がありました。また、西側の本川も外堀の役割を果たしていました。堀の幅は、かつては100mを越えるところもあり、重い大きな防御となっていました。
※現地案内板より

二の丸多聞櫓入口

太鼓櫓の模型
二の丸唯一の二重櫓で、二階に太鼓を置き、時太鼓を打って城門の開閉の合図を行った重要な櫓です。元和6年(1620年)に台座の石垣が崩壊したため再建されました。表御門より建築年代が新しかったので、屋根の反りも少なく年代相応の趣を見せていました。太鼓櫓という特殊性から、二階に高欄付きの廻縁を設けるなど、城内のほかの二重櫓とは全く異なった造りでした。※現地説明板より

平櫓の模型
毛利氏時代の創建と考えられるが、二の丸平櫓台は、福島氏の時代の再建と思われています。文化9年(1812年)、落雷により屋根や壁を破損しており、そのときあるいは明治5年(1872年)頃に撤去されたようです。復元には、「安芸国広島城所絵図」に描かれた姿図が用いられ、江戸時代の姿に戻されています。
※現地説明板より



馬場跡

太鼓櫓内部
江戸時代には、ここ太鼓櫓の2階に時を告げる太鼓が置いてあり、朝夕太鼓を打ち鳴らして城門の開閉や藩士の登城の合図にしていました。たまに、太鼓の音が小さかったり、時刻を間違えたりして注意されることもあったようです。
※現地説明板より



被爆樹木ユーカリ
爆心地から740m。ここで被爆しました。被爆して生き残っているユーカリはこの木だけです。
※現地看板より


中御門跡


焼けた石垣


広島護国神社







天守
2026年(令和8年)3月22日(日)に天守閉城となります。

スタンプ設置場所
日本100名城スタンプ設置場所




原爆ドーム


天守礎石
ここにすえ付けてある石は昭和33年天守再建に際して、もと、天守柱下の礎石を掘りおこして原型のまま移したものである。玉石排水溝の内側が天守台の大きさである。一段低くすえてある石は埋もれている礎石の位置を示している。
※現地看板より

東小天守跡




2022/5最終訪問
城郭周辺地図
付近のコインパーキング(有料)
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